い小豆《あずき》色の光が、樹々の梢《こずえ》を血なま臭く染める。陰惨、酸鼻《さんび》の気配に近い。
 鶴は、厠《かわや》の窓から秋のドオウンの凄《すご》さを見て、胸が張り裂けそうになり、亡者のように顔色を失い、ふらふら部屋へ帰り、口をあけて眠りこけているスズメの枕元にあぐらをかき、ゆうべのウイスキイの残りを立てつづけにあおる。
 金はまだある。
 酔いが発して来て、蒲団《ふとん》にもぐり込み、スズメを抱く。寝ながら、またウイスキイをあおる。とろとろと浅く眠る。眼がさめる。にっちもさっちも行かない自分のいまの身の上が、いやにハッキリ自覚せられ、額《ひたい》に油汗がわいて出て来て、悶《もだ》え、スズメにさらにウイスキイを一本買わせる。飲む。抱く。とろとろ眠る。眼がさめると、また飲む。
 やがて夕方、ウイスキイを一口飲みかけても吐きそうになり、
「帰る。」
 と、苦しい息の下から一ことそう言うのさえやっとで、何か冗談を言おうと思っても、すぐ吐きそうになり、黙って這《は》うようにして衣服を取りまとめ、スズメに手伝わせて、どうやら身なりを整え、絶えず吐き気とたたかいながら、つまずき、よろめき、日本橋の待合「さくら」を出た。
 外は冬ちかい黄昏《たそがれ》。あれから、一昼夜。橋のたもとの、夕刊を買う人の行列の中にはいる。三種類の夕刊を買う。片端から調べる。出ていない。出ていないのが、かえって不安であった。記事差止め。秘密裡に犯人を追跡しているのに違い無い。
 こうしては、おられない。金のある限りは逃げて、そうして最後は自殺だ。
 鶴は、つかまえられて、そうして肉親の者たち、会社の者たちに、怒られ悲しまれ、気味悪がられ、ののしられ、うらみを言われるのが、何としても、イヤで、おそろしくてたまらなかった。
 しかし、疲れている。
 まだ、新聞には出ていない。
 鶴は度胸をきめて、会社の世田谷の寮に立ち向う。自分の巣で一晩ぐっすり眠りたかった。
 寮では六畳一間に、同僚と三人で寝起きしている。同僚たちは、まちに遊びに出たらしく、留守である。この辺は所謂《いわゆる》便乗線とかいうものなのか、電燈はつく。鶴の机の上には、コップに投げいれられた銭菊《ぜにぎく》が、少し花弁が黒ずんでしなびたまま、主人の帰りを待っていた。
 黙って蒲団をひいて、電燈を消して、寝た、が、すぐまた起きて、電燈をつけ
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