あまり聞えなくなった。
「そろそろ、おしまいでしょうね。」
「そうだろう。いや、もうたくさんだ。」
「うちも焼けたでしょうね。」
「さあ、どうだかな? 残っているといいがねえ。」
所詮《しょせん》だめとは思っていても、しかしまた、ひょっとして、奇蹟的に家が残っていたらまあどんなに嬉《うれ》しかろうとも思うのだ。
「だめだろうよ。」
「そうでしょうね。」
しかし、心では一縷《いちる》の望みを捨て切れなかった。
すぐ、眼の前の一軒の農家がめらめら燃えている。燃えはじめてから燃え尽きるまで、実に永い時間がかかるものだ。屋根や柱と共にその家の歴史も共に炎上しているのだ。
しらじらと夜が明けて来る。
私たちは、まちはずれの焼け残った国民学校に子供を背負って行き、その二階の教室に休ませてもらった。子供たちも、そろそろ眼をさます。眼をさますとは言っても、上の女の子の眼は、ふさがったままだ。手さぐりで教壇に這《は》い上ったりなんかしている。自分の身の上の変化には、いっさい留意していない様子だ。
私は妻と子を教室に置いて、私たちの家がどうなっているかを見とどけに出かけた。道の両側の家がまだ燃えているので、熱いやら、けむいやら、道を歩くのがひどく苦痛であったが、さまざまに道をかえて、たいへんな廻り道をしてどうやら家の町内に近寄る事が出来た。残っていたら、どんなにうれしいだろう。いや、しかし、絶対にそんな事は無いんだ。希望を抱いてはいけない、と自分の心に言いつけても、それでも、もしかすると、と万一を願う気持が頭をもたげてどう仕様も無かった。家の黒い板塀《いたべい》が見えた。
や、残っている。
しかし、板塀だけであった。中の屋敷は全滅している。焼跡に義妹が、顔を真黒にして立っている。
「兄さん、子供たちは?」
「無事だ。」
「どこにいるの?」
「学校だ。」
「おにぎりあるわよ。ただもう夢中で歩いて、食料をもらって来たわ。」
「ありがとう。」
「元気を出しましょうよ。あのね、ほら、土の中に埋めて置いたものね、あれは、たいてい大丈夫らしいわ。あれだけ残ったら、もう当分は、不自由しないですむわよ。」
「もっと、埋めて置けばよかったね。」
「いいわよ。あれだけあったら、これからどこへお世話になるにしたって大威張りだわ。上成績よ。私はこれから食料を持って学校へ行って来ますから、兄さんはここで休んでいらっしゃい。はい、これはおむすび。たくさん召《め》し上れ。」
女の二十七、八は、男の四十いやそれ以上に老成している一面を持っている。なかなか、たのもしく落ちついていた。三十七になっても、さっぱりだめな義兄は、それから板塀の一部を剥《は》いで、裏の畑の上に敷き、その上にどっかとあぐらを掻《か》いて坐り、義妹の置いて行ったおにぎりを頬張《ほおば》った。まったく無能無策である。しかし私は、馬鹿というのか、のんきというのか、自分たちの家族のこれからの身の振り方に就いては殆《ほとん》ど何も考えぬのである。ただ一つ気になるのは、上の女の子の眼病に就いてだけであった。これからいったい、どんな手当をすればいいのか。
やがて妻が下の子を背負い、義妹が上の女の子の手をひいて焼跡にやって来た。
「歩いて来たのか?」
と私はうつむいている女の子に尋ねた。
「うん、」と首肯《うなず》く。
「そうか、偉いね。よくここまで、あんよが出来たね。お家は、焼けちゃったよ。」
「うん、」と首肯く。
「医者も焼けちゃったろうし、こいつの眼には困ったものだね。」
と私は妻に向って言った。
「けさ洗ってもらいましたけど。」
「どこで?」
「学校にお医者が出張してまいりましたから。」
「そいつあ、よかった。」
「いいえ、でも、看護婦さんがほんの申しわけみたいに、――」
「そうか。」
その日は、甲府市の郊外にある義妹の学友というひとのお家で休ませてもらう事にした。焼跡の穴から掘り出した食料やお鍋《なべ》などを、みんなでそのお家に運んだ。私は笑いながら、ズボンのポケットから懐中時計を出して、
「これが残った。机の上にあったから、家を出る時にポケットにねじ込んで走ったのだ。」
それは、海軍の義弟の時計であったが、私が前から借りて私の机の上に置いていたものなのだ。
「よかったわね。」と義妹も笑い、「兄さんにしちゃ大手柄じゃないの。おかげで、うちの財産が一つ殖《ふ》えたわ。」
「そうだろう?」と私は少し得意みたいな気持になり、「時計が無いとね、何かと不便なものだからね。ほら、お時計だよ、」と言って、上の女の子の手にその懐中時計を握らせ、「耳にあててごらん、カチカチ言ってるだろう? このとおり、めくらの子のおもちゃにもなる。」
子供は時計を耳に押しあて、首をかしげてじっとしていたが、やがて、ぽ
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