た建築物に移転して来たという事を、そのお家の奥さんから聞いたので、私と妻は子供をひとりずつ背負ってすぐに出かけた。桑畑のあいだを通って近道をすると、十分間くらいで行ける山の裾《すそ》にその間に合せの県立病院があった。
 眼科のお医者は女医であった。
「この女の子のほうは、てんで眼があかないので困ります。田舎のほうに転出しようかとも考えているのですが、永い汽車旅行のあいだに悪化してしまうといけませんし、とにかくこの子の眼がよくならなければ私たちはどこへも行けない状態で、ほんとに困ってしまって。」などと私は汗を拭きながら、しきりに病状を訴え、女医の手当のわずかでも懇切ならん事を策した。
 女医は気軽に、
「なに、すぐ眼があくでしょう。」
「そうでしょうか。」
「眼球は何ともなっていませんからね、まあ、もう四、五日も通《かよ》ったら、旅行も出来るようになるでしょう。」
「注射のようなものは、」と妻は横合から口を出して、「ございませんでしょうか。」
「あるには、ありますけど。」
「ぜひ、どうか、お願い致します。」と妻は慇懃《いんぎん》にお辞儀をした。
 注射がきいたのか、どうか、或《ある》いは自然に治る時機になっていたのか、その病院にかよって二日目の午後に眼があいた。
 私はただやたらに、よかった、よかったを連発し、そうして早速、家の焼跡を見せにつれて行った。
「ね、お家が焼けちゃったろう?」
「ああ、焼けたね。」と子供は微笑している。
「兎《うさぎ》さんも、お靴も、小田桐《おだぎり》さんのところも、茅野《ちの》さんのところも、みんな焼けちゃったんだよ。」
「ああ、みんな焼けちゃったね。」と言って、やはり微笑している。



底本:「太宰治全集8」ちくま文庫、筑摩書房
   1989(平成元)年4月25日第1刷発行
底本の親本:「筑摩全集類聚版太宰治全集」筑摩書房
   1975(昭和50)年6月〜1976(昭和51)年6月
入力:柴田卓治
校正:ゆうこ
2000年3月21日公開
2005年11月4日修正
青空文庫作成ファイル:
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