いと思うのだ。頑固とかいう親爺《おやじ》が、ひとりいると、その家族たちは、みな不幸の溜息《ためいき》をもらしているものだ。気取りを止めよ。私のことを「いやなポーズがあって、どうもいい点が見つからないね」とか言っていたが、それは、おまえの、もはや石膏《せっこう》のギブスみたいに固定している馬鹿なポーズのせいなのだ。
も少し弱くなれ。文学者ならば弱くなれ。柔軟になれ。おまえの流儀以外のものを、いや、その苦しさを解るように努力せよ。どうしても、解らぬならば、だまっていろ。むやみに座談会なんかに出て、恥をさらすな。無学のくせに、カンだの何だの頼りにもクソにもならないものだけに、すがって、十年一日の如く、ひとの蔭口をきいて、笑って、いい気になっているようなやつらは、私のほうでも「閉口」である。勝つために、実に卑劣な手段を用いる。そうして、俗世に於て、「あれはいいひとだ、潔癖な立派なひとである」などと言われることに成功している。殆んど、悪人である。
君たちの得たものは、(所謂文壇生活何年か知らぬが、)世間的信頼だけである。志賀直哉を愛読しています、と言えばそれは、おとなしく、よい趣味人の証拠と
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