せずに、暴露してみるつもりである。
 孤高とか、節操とか、潔癖とか、そういう讃辞《さんじ》を得ている作家には注意しなければならない。それは、殆んど狐狸《こり》性を所有しているものたちである。潔癖などということは、ただ我儘《わがまま》で、頑固で、おまけに、抜け目無くて、まことにいい気なものである。卑怯《ひきょう》でも何でもいいから勝ちたいのである。人間を家来にしたいという、ファッショ的精神とでもいうべきか。
 こういう作家は、いわゆる軍人精神みたいなものに満されているようである。手加減しないとさっき言ったが、さすがに、この作家の「シンガポール陥落」の全文章をここに掲げるにしのびない。阿呆の文章である。東条でさえ、こんな無神経なことは書くまい。甚だ、奇怪なることを書いてある。もうこの辺から、この作家は、駄目になっているらしい。
 言うことはいくらでもある。
 この者は人間の弱さを軽蔑している。自分に金のあるのを誇っている。「小僧の神様」という短篇があるようだが、その貧しき者への残酷さに自身気がついているだろうかどうか。ひとにものを食わせるというのは、電車でひとに席を譲る以上に、苦痛なもので
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