もちろん自信無し。
 しかし、君たちは何やら「啓蒙家《けいもうか》」みたいな口調で、すまして民衆に説いている。
 洋行。
 案外、そんなところに、君たちと民衆とのだまし合いが成立しているのではないか。まさか、と言うこと勿《なか》れ。民衆は奇態に、その洋行というものに、おびえるくらい関心を持つ。
 田舎者の上京ということに就いて考えて見よう。二十年前に、上野の何とか博覧会を見て、広小路の牛《ぎゅう》のすき焼きを食べたと言うだけでも、田舎に帰れば、その身に相当の箔《はく》がついているものである。民衆は、これに一目《いちもく》をおくのだから、こたえられまい。況《いわ》んや、東京で三年、苦学して法律をおさめた(しかし、それは、通信講義録でも、おさめることが出来るようだが)そのような経歴を持ったとあれば、村の顔役の一人に、いやでも押されるのである。田舎者の出世の早道は、上京にある。しかも、その田舎者は、いい加減なところで必ず帰郷するのである。そこが秘訣《ひけつ》だ。その家族と喧嘩《けんか》をして、追われるように田舎から出て来て、博覧会も、二重橋も、四十七士の墓も見たことがない(或いは見る気も起らぬ)そのような上京者は、私たちの味方だが、いったい日本の所謂「洋行者」の中で、日本から逃げて行く気で船に乗った者は、幾人あったろうか。
 外国へ行くのは、おっくうだが、こらえて三年おれば、大学の教授になり、母をよろこばすことが出来るのだと、周囲には祝福せられ、鹿島立ちとか言うものをなさるのが、君たち洋行者の大半ではなかろうか。それが日本の洋行者の伝統なのであるから、碌《ろく》な学者の出ないのも無理はないネ。
 私には、不思議でならぬのだが、所謂「洋行」した学者の所謂「洋行の思い出」とでも言ったような文章を拝見するに、いやに、みな、うれしそうなのである。うれしい筈がないと私には確信せられる。日本という国は、昔から外国の民衆の関心の外にあった。(無謀な戦争を起してからは、少し有名になったようだ。それも悪名高し、の方である)私は、かねがね、あの田舎の中学生女学生の団体で東京見物の旅行の姿などに、悲惨を感じている者であるが、もし自分が外国へ行ったら、あの姿そのままのものになるにきまっていると思っている。
 醜い顔の東洋人。けちくさい苦学生。赤毛布《あかげっと》。オラア、オッタマゲタ。きたない歯。日本には汽車がありますの? 送金延着への絶えざる不安。その憂鬱と屈辱と孤独と、それをどの「洋行者」が書いていたろう。
 所詮は、ただうれしいのである。上野の博覧会である。広小路の牛《ぎゅう》がおいしかったのである。どんな進歩があったろうか。
 妙なもので、君たち「洋行者」は、君たちの外国生活に於《お》けるみじめさを、隠したがる。いや、隠しているのではなく、それに気づかないのか、もし、そんなだったら話にならぬ。L君、つき合いはお断りだよ。
 ついでだから言うけれども、君たち「洋行者」は、妙にあっさりお世辞を言うネ。酒の席などで、作家は(どんな馬鹿な作家でも)さすがにそうではないけれども、君たちは、ああ、太宰さんですか、お逢いしたいと思っていました、あなたの、××という作品にはまいりました、握手しましょう、などと言い、こっちはそうかと思っていると、その後、新聞の時評やら、または座談会などで、その同一人が、へえ? と思うくらいにミソクソに私の作品をこきおろしていることがたまたまあるようだ。これもまた、君たちが洋行している間に身につけた何かしらではなかろうかと私は思っている。慇懃《いんぎん》と復讐《ふくしゅう》。ひしがれた文化猿。
 みじめな生活をして来たんだ。そうして、いまも、みじめな人間になっているのだ。隠すなよ。
 私事ではあるが、思い出すことがある。自分が、大学へ入ったその春に、兄が上京して来て、(父は死に、兄は若くして、父のかなりの遺産をつぎ、その遺産の使途の一つとして兄は、所謂世界漫遊を思い立った様子なのである。)高田馬場の私の下宿の、近くにあったおそばやで、
「おまえも一緒に行かないか、どうか。自分は一廻りしてくるつもりだが、おまえは途中でフランスあたりにとどまって、フランス文学を研究してもどうでも、それは、おまえの好きなようにするがよい。大学のフランス文科を出てから、フランスへ行くのと、フランスへ行って来てから、大学へ入るのと、どっちが勉強に都合がよかろうか。」
 私は、ほとんど言下に答えた。
「それはやはり、大学で基礎勉強してからのほうがよい。」
「そうだろうか。」
 兄は浮かぬ顔をしていた。兄は私を通訳のかわりとしても、連れて行きたかったらしいのだが、私が断ったので、また考え直した様子で、それっきり外国の話を出さなくなった。
 実は、このとき私は、まっ
前へ 次へ
全13ページ中4ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
太宰 治 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング