し、東京で十年ちかく暮して、いろんな女優やら御令嬢やらを見たけれども、うちのお母さんほど綺麗なひとを見た事が無い。あたしは昔、お母さんと二人でお風呂へはいる時、まあどんなに嬉しかったか、どんなに恥かしかったか、いま思っても胸がどきどきするくらい。
(伝兵衛) おれの前でそんなくだらない話は、するな。それで、どうなんだ? 睦子を置いて行く気か?
(数枝)(呆《あき》れた顔して)ま、お父さんまでそんな馬鹿げた、……。
(伝兵衛) しかし、男があるんだろう?
(数枝)(顔をしかめ、うつむいて)ほかに聞き方が無いの?
(伝兵衛) どんな聞き方をしたって同じじゃないか。(こみ上げて来る怒りを抑《おさ》えている態《てい》で)お前も、しかし、馬鹿な事をしたものだ。そう思わないか。
(数枝)(顔を挙げ、冷然と父の顔を見守り無言)
(伝兵衛) 小さい時から我儘で仕様がなかったけれども、しかし、こんな馬鹿な奴とは思わなかった。お前のためには、あさも、どれだけ苦労して来たかわからないのだ。お前が弘前《ひろさき》の女学校を卒業して、東京の専門学校に行くと言い出した時にも、おれは何としても反対で、気分が悪くなっ
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