全く取り合わず、聞えぬ振りして)あら、もう十時よ。(立上り)葛湯《くずゆ》でもこしらえて来ましょう。本当に、何か召し上らないと。(言いながら上手の障子をあけて)おお、きょうは珍らしくいいお天気。
(あさ) 数枝、ここにいてくれ。何を食べても、すぐ吐きそうになって、かえって苦しむばかりだから。どこへも行かないで、あたしの傍にいてくれ。お前に、すこし言いたい事がある。
(数枝)(障子を静かにしめて、また病床の傍に坐り、あかるく)どうしたの? ね、お母さん。
(あさ) 数枝、お前はもう、東京へは帰らないだろうね。
(数枝)(あっさり)帰るつもりだわ。お父さんはあたしに、出て行けと言ったじゃないの。そうして、あの日からもう、あたしにはろくに口もききやしないんだもの。帰るより他は無いじゃないの。
(あさ) あたしがこんなに寝たきりになってもかい。
(数枝) お母さんの病気なんか、すぐなおるわよ。そりゃ、なおるまでは、やっぱりあたし、お父さんがどんなに出て行けって言ったって、この家に頑張《がんば》ってお母さんの看病をさせていただくつもりだけど。
(あさ) 何年でもかい。
(数枝) 何年でもって、(
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