いなものだわ。
(清蔵)(気抜けした態で)それは、どんな意味です。
(数枝) 意味も何もありやしないわ。見ればわかるじゃないの。日本は、もう、(突然、花火をやめて、袖《そで》で顔を覆う)何もかも、だめなのだわ。(袖から顔を半分出し、嗚咽《おえつ》しながら少し笑い)そうして、あたしも、もうだめなのだわ。どんなにあがいて努めても、だめになるだけなのだわ。
(清蔵)(何か勘違いしたらしく、もぞりと一|膝《ひざ》すすめて)そう、そうです。このままでは、だめです。思い切って生活をかえる事です。睦子さんひとりくらいは立派に私が引受けて見せます。私の家はご承知のようにこのへんでたった一軒の精米屋ですから、米のほうは、どんなにしたってやりくりがつくのです。いまは精米屋が一ばんです。地主よりも誰よりも米の自由がきくのです。
(数枝)(全然それを聞いていない様子で、膝の上で袖の端をいじりながら)いつから日本の人が、こんなにあさましくて、嘘つきになったのでしょう。みんなにせものばかりで、知ったかぶってごまかして、わずかの学問だか主義だかみたいなものにこだわってぎくしゃくして、人を救うもないもんだ。人を救うなんて、まあ、そんなだいそれた、(第一幕に於けるが如き低い異様な笑声を発する)図々《ずうずう》しいにもほどがあるわ。日本の人が皆こんなあやつり人形みたいなへんてこな歩きかたをするようになったのは、いつ頃からの事かしら。ずっと前からだわ。たぶん、ずっとずっと前からだわ。
(清蔵)(たじろぎながら)それは、本当に、都会の人はそうでしょう。まったく、そうでしょう。しかし、田舎者の純情は、昔も今も同じです。数枝さん、(へんに笑い、また少し膝をすすめる)昔の事を思い出して下さい。私とあなたは、もうとうの昔から結ばれていたのです。どうしても一緒になるべき間柄だったのです。数枝さん、思い出して下さい。さすがに私もいままで、この事だけは恥かしくて言いかねていたのですが、数枝さん、私たちは小さい時に、あなたの家の藁小屋《わらごや》の藁にもぐって遊んだ事がありました。あの時の事を、よもや忘れてはいないでしょう? あなたは、女学校へはいるようになったら、もう、私とあんな事があったのをすっかり忘れてしまったような顔をしていましたが、あなたは、あの時から、私のところにお嫁に来なければならなくなっていたのです。私も童貞を失い、あなたも処女を。
(数枝)(驚愕《きょうがく》して立ち上り)まあ、あなたは何という事をおっしゃるのです。まるでそれではごろつきです。何の純情なものですか。あなたのような人こそ、悪人というのです。帰って下さい。お帰りにならなければ、人を呼びます。
(清蔵)(すっかり悪党らしく落ちつき)静かにしなさい。(出刃庖丁をちょっと持ち上げて見せて、軽く畳の上に投げ出し)これが見えませんか。今夜は、私も命がけです。いつまでも、そうそうあなたにからかわれていたくありません。イエスですか、ノオですか。
(数枝) よして下さい、いやらしい。女が、そんな、子供の頃のささいな事で一生ひとから攻められなければならないのでしたら、女は、あんまり、みじめです。ああ、あたしはあなたを殺してやりたい。(清蔵のほうを向きながら二、三歩あとずさりして、突然、うしろ手で背後の襖《ふすま》をあける。襖の外は階段の上り口。そこに、あさが立っている。数枝、そこにあさが立っているのを先刻より承知の如く、やはり清蔵のほうを見ながら)お母さん! たのむわ。この男を、帰らせてよ。毛虫みたいな男だわ。あたしはもう、口をきくのもいや。殺してやりたい。
(清蔵)(あさの立っているのを見て驚き)やあ、お母さん、あなたはそこにいたのですか。(急にはにかみ、畳の上の出刃庖丁をそそくさと懐《ふところ》にしまいこみ)失礼しました。帰りましょう。(立ち上り、二重廻しを着る)
(あさ)(おどおど部屋にはいり、清蔵の傍に寄り、清蔵が二重廻しを着るのにちょっと手伝い、おだやかに)清蔵さん、早くお嫁をもらいなさい。数枝には、もう、……。
(数枝)(小声で鋭く)お母さん! (言うなと眼つきで制する)
(清蔵)(はっと気附いた様子で)そうですか。数枝さん、あなたもひどい女だ。(にやりと笑って)凄《すご》い腕だ。おそれいりましたよ。私が毛虫なら、あなたは蛇《へび》だ。淫乱《いんらん》だ。女郎だ。みんなに言ってやる。ようし、みんなに言ってやる。(身をひるがえして、背後の雨戸をあける。どっと雪が吹き込む)
(あさ)(低く、きっぱりと)清蔵さん、お待ちなさい。(清蔵に抱きつくようにして、清蔵のふところをさぐり、出刃庖丁を取り出し、逆手に持って清蔵の胸を刺さんとする)
(清蔵)(間一髪にその手をとらえ)何をなさる。気が狂ったか、糞婆《くそばばあ》
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