まった。(ひくく笑う)線香花火だけは、たくさんお店にあってね。どういうわけかしら。どうもこのごろのお店には、季節はずれの妙な品物ばかり並んでいるよ。麦わら帽子だの、蠅《はえ》たたきだの、笑わせるじゃないか、あんなものでも買うひとがあるんだろうねえ。いまどき蠅たたきなんかを買ってどうするのだろう。
(数枝)(笑って)蠅たたきだって、羽子板のかわりくらいにはなるかも知れないわ。こんな線香花火なんかよりは、子供にはいい玩具かもわからない。(睦子の手から線香花火を取っていじりながら)冬の花火なんて、何だか気味《きび》が悪いわねえ。さっき睦子が持っているのをちらと見た時、なぜだか、ぎょっとしたわよ。
(あさ)(やわらかに)だって、他になんにも売ってなかったんだものねえ。いまの子供は、本当に可哀そうだよ。(語調をかえて)あたらしい鱈のようですけど、鱈ちりになさいますか?
(伝兵衛) 酒は、まだあるか。
(あさ)(やはり障子の蔭から)ええ、まだ少しございますでしょう。
(伝兵衛) それじゃ晩は、鱈ちりで一ぱいという事にしようか。
(数枝) あたしも、そうしよう。
(伝兵衛)(抑制を忘れ、ついに大声を発する)馬鹿野郎! どこまでお前は、ふざけやがって、(立ち上りかけ、また腰をおろして)真人間になれ!
[#ここで字下げ終わり]

[#ここから2字下げ]
睦子、火のついたように泣き出し、数枝の懐《ふところ》にしがみつく。数枝は、冷然たり。
[#ここで字下げ終わり]

[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
(伝兵衛) お前ひとりのために、お前ひとりのために、この家が、お前ひとりのために、どれだけ、(何か呟《つぶや》きながら、泣き出す)
[#ここで字下げ終わり]

[#ここから2字下げ]
数枝、睦子を抱いたまま静かに立って、奥の階段のほうへ行く。
[#ここで字下げ終わり]

[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
(伝兵衛)(猛然と立ち上って)待て!
(あさ)(台所から走り出て、伝兵衛を抑え)まあ、お父さん、何をなさる。
(伝兵衛) 殴らなくちゃいけねえ。正気にかえるまで殴らなくちゃいけねえ。
[#ここで字下げ終わり]

[#ここから2字下げ]
数枝、振り向きもせず、泣き叫ぶ睦子を抱いて、階段をのぼりはじめる。和服の裾《すそ》から白いストッキングをはいているのが見える。
伝兵
前へ 次へ
全25ページ中8ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
太宰 治 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング