ずいぶん多い。
   市中は物のにほひや夏の月
 芭蕉がそれにつづけて、
   あつしあつしと門々《かどかど》の声
 これが既に、へんである。所謂《いわゆる》、つき過ぎている。前句の説明に堕していて、くどい。蛇足的な説明である。たとえば、こんなものだ。
   古池や蛙《かわず》とびこむ水の音
    音の聞えてなほ静かなり
 これ程ひどくもないけれども、とにかく蛇足的註釈に過ぎないという点では同罪である。御師匠も、まずい附けかたをしたものだ。つき過ぎてもいかん、ただ面影にして附くべし、なんていつも弟子たちに教えている癖に御師匠自身も時には、こんな大失敗をやらかす。附きも附いたり、べた附きだ。凡兆の名句に、師匠が歴然と敗北している。手も足も出ないという情況だ。あつしあつしと門々の声。前句で既に、わかり切っている事だ。芸の無い事、おびただしい。それにつづけて、
   二番草取りも果さず穂に出《いで》て
 去来《きょらい》だ。苦笑を禁じ得ない。さぞや苦労をして作り出した句であろう。去来は真面目《まじめ》な人である。しゃれた人ではない。けれども、野暮《やぼ》な人は、とかく、しゃれた事をしてみた
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