羽左衛門の義経を見てやさしい色白の義経を胸に画いてみたり、阪東妻三郎が扮《ふん》するところの織田信長を見て、その胴間声《どうまごえ》に圧倒され、まさに信長とはかくの如きものかと、まさか、でも、それはあり得る事かも知れない。歴史小説というものが、この頃おそろしく流行して来たようだが、こころみにその二、三の内容をちらと拝見したら、驚くべし、れいの羽左、阪妻が、ここを先途《せんど》と活躍していた。羽左、阪妻の活躍は、見た眼にも綺麗《きれい》で、まあ新講談と思えば、講談の奇想天外にはまた捨てがたいところもあるのだから、楽しく読めることもあるけれど、あの、深刻そうな、人間味を持たせるとかいって、楠木正成《くすのきまさしげ》が、むやみ矢鱈《やたら》に、淋《さび》しい、と言ったり、御前会議が、まるでもう同人雑誌の合評会の如く、ただ、わあわあ騒いで怨《うら》んだり憎んだり、もっぱら作者自身のけちな日常生活からのみ推して加藤清正や小西行長を書くのだろうから、実に心細い英雄豪傑ばかりで、加藤君も小西君も、運動選手の如くはしゃいで、そうして夜になると淋しいと言ったりするような歴史小説は、それが滑稽《こっけい
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