た。凍つた空氣へたのしげに口笛を吹きこんだ。誰ひとりゐない山。どんなことでもできるのだ。眞野にそんなわるい懸念を持たせたくなかつたのである。
 窪地へ降りた。ここにも枯れた茅がしげつてゐた。眞野は立ちどまつた。葉藏も五六歩はなれて立ちどまつた。すぐわきに白いテントの小屋があるのだ。
 眞野はその小屋を指さして言つた。
「これ、日光浴場。輕症の患者さんたちが、はだかでここへ集るのよ。ええ、いまでも。」
 テントにも霜がひかつてゐた。
「登らう。」
 なぜとは知らず氣がせくのだ。
 眞野は、また駈け出した。葉藏もつづいた。落葉松の細い並木路へさしかかつた。ふたりはつかれて、ぶらぶらと歩きはじめた。
 葉藏は肩であらく息をしながら、大聲で話かけた。
「君、お正月はここでするのか。」
 振りむきもせず、やはり大聲で答へてよこした。
「いいえ。東京へ歸らうと思ひます。」
「ぢや、僕のとこへ遊びに來たまへ。飛騨も小菅も毎日のやうに僕のとこへ來てゐるのだ。まさか牢屋でお正月を送るやうなこともあるまい。きつとうまく行くだらうと思ふよ。」
 まだ見ぬ檢事のすがすがしい笑ひ顏をさへ、胸に畫いてゐたのである
前へ 次へ
全73ページ中71ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
太宰 治 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング