寢たままでそれへ落書をはじめた。
「ご自分がよくないことをしてゐるから、ひとのよいところがわからないんだわ。噂ですけれど、婦長さんは院長さんのおめかけなんですつて。」
「さうか。いいところがある。」小菅は大喜びであつた。彼等はひとの醜聞を美徳のやうに考へる。たのもしいと思ふのである。「勳章がめかけを持つたか。いいところがあるよ。」
「ほんたうに、みなさん、罪のないことをおつしやつては、お笑ひになつていらつしやるのに、判らないのかしら。お氣になさらず、うんとおさわぎになつたはうが、ようございますわ。かまひませんとも。けふ一日ですものねえ。ほんたうに誰にだつてお叱られになつたことのない、よい育ちのかたばかりなのに。」片手を顏へあてて急にひくく泣き出した。泣きながらドアをあけた。
 飛騨はひきとめて囁いた。「婦長のとこへ行つたつて駄目だよ。よし給へ。なんでもないぢやないか。」
 顏を兩手で覆つたまま、二三度つづけさまにうなづいて廊下へ出た。
「正義派だ。」眞野が去つてから、小菅はにやにや笑つてソフアへ坐つた。「泣き出しちやつた。自分の言葉に醉つてしまつたんだよ。ふだんは大人くさいことを言つて
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