まつすぐに見つめたまま、しぶしぶ手帖を上衣のポケツトにしまひ込んだ。
その刑事たちが立ち去つてから、眞野は、いそいで葉藏の室へ歸つて來た。けれども、ドアをあけたとたんに、嗚咽してゐる葉藏を見てしまつた。そのままそつとドアをしめて、廊下にしばらく立ちつくした。
午後になつて雨が降りだした。葉藏は、ひとりで厠へ立つて歩けるほど元氣を恢復してゐた。
友人の飛騨が、濡れた外套を着たままで、病室へをどり込んで來た。葉藏は眠つたふりをした。
飛騨は眞野へ小聲でたづねた。「だいぢやうぶですか?」
「ええ、もう。」
「おどろいたなあ。」
彼は肥えたからだをくねくねさせてその油土くさい外套を脱ぎ、眞野へ手渡した。
飛騨は、名のない彫刻家で、おなじやうに無名の洋畫家である葉藏とは、中學校時代からの友だちであつた。素直な心を持つた人なら、そのわかいときには、おのれの身邊ちかくの誰かをきつと偶像に仕立てたがるものであるが、飛騨もまたさうであつた。彼は、中學校へはひるとから、そのクラスの首席の生徒をほれぼれと眺めてゐた。首席は葉藏であつた。授業中の葉藏の一※[#「口+頻」、第3水準1−15−29]一
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