んだ。波の音が耳について。」
小菅は葉藏をふびんだと思つた。それは全く、おとなの感情である。言ふまでもないことだらうけれど、ふびんなのはここにゐるこの葉藏ではなしに、葉藏とおなじ身のうへにあつたときの自分、もしくはその身のうへの一般的な抽象である。おとなは、そんな感情にうまく訓練されてゐるので、たやすく人に同情する。そして、おのれの涙もろいことに自負を持つ。青年たちもまた、ときどきそのやうな安易な感情にひたることがある。おとなはそんな訓練を、まづ好意的に言つて、おのれの生活との妥協から得たものとすれば、青年たちは、いつたいどこから覺えこんだものか。このやうなくだらない小説から?
「眞野さん、なにか話を聞かせてよ。面白い話がない?」
葉藏の氣持ちを轉換させてやらうといふおせつかいから、小菅は眞野へ甘つたれた。
「さあ。」眞野は屏風のかげから、笑ひ聲と一緒にたださう答へてよこした。
「すごい話でもいいや。」彼等はいつも、戰慄したくてうづうづしてゐる。
眞野は、なにか考へてゐるらしく、しばらく返事をしなかつた。
「祕密ですよ。」さうまへおきをして、聲しのばせて笑ひだした。「怪談でござい
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