は僕の獨斷である。しかも書齋のなかの摸索でない。みんな僕自身の肉體から聞いた思念ではある。
 葉藏は、まだ笑つてゐる。ベツドに腰かけて兩脚をぶらぶら動かし、頬のガアゼを氣にしいしい笑つてゐた。小菅の話がそんなにをかしかつたのであらうか。彼等がどのやうな物語にうち興ずるかの一例として、ここへ數行を挿入しよう。小菅がこの休暇中、ふるさとのまちから三里ほど離れた山のなかの或る名高い温泉場へスキイをしに行き、そこの宿屋に一泊した。深夜、厠へ行く途中、廊下で同宿のわかい女とすれちがつた。それだけのことである。しかし、これが大事件なのだ。小菅にしてみれば、鳥渡すれちがつただけでも、その女のひとにおのれのただならぬ好印象を與へてやらなければ氣がすまぬのである。別にどうしようといふあてもないのだが、そのすれちがつた瞬間に、彼はいのちを打ちこんでポオズを作る。人生へ本氣になにか期待をもつ。その女のひととのあらゆる經緯を瞬間のうちに考へめぐらし、胸のはりさける思ひをする。彼等は、そのやうな息づまる瞬間を、少くとも一日にいちどは經驗する。だから彼等は油斷をしない。ひとりでゐるときにでも、おのれの姿勢を飾つて
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