さして、二人の娘がこつちへそろそろ歩いて來た。
「發見だな。」葉藏も蘇生の思ひであつた。
「話かけようか。」小菅は、片足あげて靴の砂をふり落し、葉藏の顏を覗きこんだ。命令一下、駈けださうといふのである。
「よせ、よせ。」飛騨は、きびしい顏をして小菅の肩をおさへた。
パラソルは立ちどまつた。しばらく何か話合つてゐたが、それからくるつとこつちへ背をむけて、またしづかに歩きだした。
「追ひかけようか。」こんどは葉藏がはしやぎだした。飛騨のうつむいてゐる顏をちらと見た。「よさう。」
飛騨はわびしくてならぬ。この二人の友だちからだんだん遠のいて行くおのれのしなびた血を、いまはつきりと感じたのだ。生活からであらうか、と考へた。飛騨の生活はややまづしかつたのである。
「だけど、いいなあ。」小菅は西洋ふうに肩をすくめた。なんとかしてこの場をうまく取りつくろつてやらうと努めるのである。「僕たちの散歩してゐるのを見て、そそられたんだよ。若いんだものな。可愛さうだなあ。へんな心地になつちやつた。おや、貝をひろつてるよ。僕の眞似をしてゐやがる。」
飛騨は思ひ直して微笑んだ。葉藏のわびるやうな瞳とぶつかつた。二人ながら頬をあからめた。判つてゐる。お互ひがいたはりたい心でいつぱいなんだ。彼等は弱きをいつくしむ。
三人は、ほの温い海風に吹かれ、遠くのパラソルを眺めつつあるいた。
はるか療養院の白い建物のしたには、眞野が彼等の歸りを待つて立つてゐる。ひくい門柱によりかかり、まぶしさうに右手を額へかざしてゐる。
最後の夜に、眞野は浮かれてゐた。寢てからも、おのれのつつましい家族のことや、立派な祖先のことをながながとしやべつた。葉藏は夜のふけるとともに、むつつりして來た。やはり、眞野のはうへ背をむけて、氣のない返事をしながらほかのことを思つてゐた。
眞野は、やがておのれの眼のうへの傷について話だしたのである。
「私が三つのとき、」なにげなく語らうとしたらしかつたが、しくじつた。聲が喉へひつからまる。「ランプをひつくりかへして、やけどしたんですつて。ずゐぶん、ひがんだものでございますのよ。小學校へあがつてゐたじぶんには、この傷、もつともつと大きかつたんですの。學校のお友だちは私を、ほたる、ほたる。」すこしとぎれた。「さう呼ぶんです。私、そのたんびに、きつとかたきを討たうと思ひましたわ。ええ、ほんたうにさう思つたわ。えらくならうと思ひましたの。」ひとりで笑ひだした。「をかしいですのねえ。えらくなれるもんですか。眼鏡かけませうかしら。眼鏡かけたら、この傷がすこしかくれるんぢやないかしら。」
「よせよ。かへつてをかしい。」葉藏は怒つてでもゐるやうに、だしぬけに口を挾んだ。女に愛情を感じたとき、わざとじやけんにしてやる古風さを、彼もやはり持つてゐるのであらう。「そのままでいいのだ。目立ちはしないよ。もう眠つたらどうだらう。あしたは早いのだよ。」
眞野は、だまつた。あした別れてしまふのだ。おや、他人だつたのだ。恥を知れ。恥を知れ。私は私なりに誇りを持たう。せきをしたり溜息ついたり、それからばたんばたんと亂暴に寢返りをうつたりした。
葉藏は素知らぬふりをしてゐた。なにを案じつつあるかは、言へぬ。
僕たちはそれより、浪の音や鴎の聲に耳傾けよう。そしてこの四日間の生活をはじめから思ひ起さう。みづからを現實主義者と稱してゐる人は言ふかも知れぬ。この四日間はポンチに滿ちてゐたと。それならば答へよう。おのれの原稿が、編輯者の机のうへでおほかた土瓶敷の役目をしてくれたらしく、黒い大きな燒跡をつけられて送り返されたこともポンチ。おのれの妻のくらい過去をせめ、一喜一憂したこともポンチ。質屋の暖簾をくぐるのに、それでも襟元を掻き合せ、おのれのおちぶれを見せまいと風采ただしたこともポンチ。僕たち自身、ポンチの生活を送つてゐる。そのやうな現實にひしがれた男のむりに示す我慢の態度。君はそれを理解できぬならば、僕は君とは永遠に他人である。どうせポンチならよいポンチ。ほんたうの生活。ああ、それは遠いことだ。僕は、せめて、人の情にみちみちたこの四日間をゆつくりゆつくりなつかしまう。たつた四日の思ひ出の、五年十年の暮しにまさることがある。たつた四日の思ひ出の、ああ、一生涯にまさることがある。
眞野のおだやかな寢息が聞えた。葉藏は沸きかへる思ひに堪へかねた。眞野のはうへ寢がへりを打たうとして、長いからだをくねらせたら、はげしい聲を耳もとへささやかれた。
やめろ! ほたるの信頼を裏切るな。
夜のしらじらと明けはなれたころ、二人はもう起きてしまつた。葉藏はけふ退院するのである。僕は、この日の近づくことを恐れてゐた。それは愚作者のだらしない感傷であらう。この小説を書きながら僕は、葉藏を
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