ともにドアがあき、飛騨と小菅が病室へころげこむやうにしてはひつて來た。みんなおはやうを言ひ交した。院長もこのふたりに、朝の挨拶をして、それから口ごもりつつ言葉を掛けた。
「けふいちにちです。お名殘りをしいですな。」
 院長が去つてから、小菅がいちばんさきに口を切つた。
「如才がないな。蛸みたいなつらだ。」彼等はひとの顏に興味を持つ。顏でもつて、そのひとの全部の價値をきめたがる。「食堂にあのひとの畫があるよ。勳章をつけてゐるんだ。」
「まづい畫だよ。」
 飛騨は、さう言ひ捨ててヴエランダへ出た。けふは兄の着物を借りて着てゐた。茶色のどつしりした布地であつた。襟もとを氣にしいしいヴエランダの椅子に腰かけた。
「飛騨もかうして見ると、大家の風貌があるな。」小菅もヴエランダへ出た。「葉ちやん。トランプしないか。」
 ヴエランダへ椅子をもち出して三人は、わけのわからぬゲエムを始めたのである。
 勝負のなかば、小菅は眞面目に呟いた。
「飛騨は氣取つてるねえ。」
「馬鹿。君こそ。なんだその手つきは。」
 三人はくつくつ笑ひだし、いつせいにそつと隣りのヴエランダを盜み見た。い號室の患者も、ろ號室の患者も、日光浴用の寢臺に横はつてゐて、三人の樣子に顏をあかくして笑つてゐた。
「大失敗。知つてゐたのか。」
 小菅は口を大きくあけて、葉藏へ目くばせした。三人は、思ひきり聲をたてて笑ひ崩れた。彼等は、しばしばこのやうな道化を演ずる。トランプしないか、と小菅が言ひ出すと、もはや葉藏も飛騨もそのかくされたもくろみをのみこむのだ。幕切れまでのあらすぢをちやんと心得てゐるのである。彼等は天然の美しい舞臺裝置を見つけると、なぜか芝居をしたがるのだ。それは、紀念の意味かも知れない。この場合、舞臺の背景は、朝の海である。けれども、このときの笑ひ聲は、彼等にさへ思ひ及ばなかつたほどの大事件を生んだ。眞野がその療養院の看護婦長に叱られたのである。笑ひ聲が起つて五分も經たぬうちに眞野が看護婦長の部屋に呼ばれ、お靜かになさいとずゐぶんひどく叱られた。泣きだしさうにしてその部屋から飛び出し、トランプよして病室でごろごろしてゐる三人へ、このことを知らせた。
 三人は、痛いほどしたたかにしよげて、しばらくただ顏を見合せてゐた。彼等の有頂天な狂言を、現實の呼びごゑが、よせやいとせせら笑つてぶちこはしたのだ。これは、ほと
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