がつたことを考へてゐたらしい。園は海へ飛び込むまへに、あなたはうちの先生に似てゐるなあ、なんて言ひやがつた。内縁の夫があつたのだよ。二三年まへまで小學校の先生をしてゐたのだつて。僕は、どうして、あのひとと死なうとしたのかなあ。やつぱり好きだつたのだらうね。」もう彼の言葉を信じてはいけない。彼等は、どうしてこんなに自分を語るのが下手なのだらう。「僕は、これでも左翼の仕事をしてゐたのだよ。ビラを撒いたり、デモをやつたり、柄にないことをしてゐたのさ。滑稽だ。でも、ずゐぶんつらかつたよ。われは先覺者なりといふ榮光にそそのかされただけのことだ。柄ぢやないのだ。どんなにもがいても、崩れて行くだけぢやないか。僕なんかは、いまに乞食になるかも知れないね。家が破産でもしたら、その日から食ふに困るのだもの。なにひとつ仕事ができないし、まあ、乞食だらうな。」ああ、言へば言ふほどおのれが嘘つきで不正直な氣がして來るこの大きな不幸! 「僕は宿命を信じるよ。じたばたしない。ほんたうは僕、畫をかきたいのだ。むしやうにかきたいよ。」頭をごしごし掻いて、笑つた。「よい畫がかけたらねえ。」
よい畫がかけたらねえ、と言つた。しかも笑つてそれを言つた。青年たちは、むきになつては、何も言へない。ことに本音を、笑ひでごまかす。
夜が明けた。空に一抹の雲もなかつた。きのふの雪はあらかた消えて、松のしたかげや石の段々の隅にだけ、鼠いろして少しづつのこつてゐた。海には靄がいつぱい立ちこめ、その靄の奧のあちこちから漁船の發動機の音が聞えた。
院長は朝はやく葉藏の病室を見舞つた。葉藏のからだをていねいに診察してから、眼鏡の底の小さい眼をぱちぱちさせて言つた。
「たいていだいぢやうぶでせう。でも、お氣をつけてね。警察のはうへは私からもよく申して置きます。まだまだ、ほんたうのからだではないのですから。眞野君、顏の絆創膏は剥いでいいだらう。」
眞野はすぐ、葉藏のガアゼを剥ぎとつた。傷はなほつてゐた。かさぶたさへとれて、ただ赤白い斑點になつてゐた。
「こんなことを申しあげると失禮でせうけれど、これからはほんたうに御勉強なさるやうに。」
院長はさう言つて、はにかんだやうな眼を海へむけた。
葉藏もなにやらばつの惡い思ひをした。ベツドのうへに坐つたまま、脱いだ着物をまた着なほしながら默つてゐた。
そのとき高い笑い聲と
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