《すが》って、虫のように黙って暮した。
けれども、まだまだ、それは、どん底ではなかった。そのとしの早春に、私は或る洋画家から思いも設けなかった意外の相談を受けたのである。ごく親しい友人であった。私は話を聞いて、窒息しそうになった。Hが既に、哀しい間違いを、していたのである。あの、不吉な病院から出た時、自動車の中で、私の何でも無い抽象的な放言に、ひどくどぎまぎしたHの様子がふっと思い出された。私はHに苦労をかけて来たが、けれども、生きて在る限りはHと共に暮して行くつもりでいたのだ。私の愛情の表現は拙いから、Hも、また洋画家も、それに気が附いてくれなかったのである。相談を受けても、私には、どうする事も出来なかった。私は、誰にも傷をつけたく無いと思った。三人の中では、私が一番の年長者であった。私だけでも落ちついて、立派な指図をしたいと思ったのだが、やはり私は、あまりの事に顛倒《てんとう》し、狼狽し、おろおろしてしまって、かえってHたちに軽蔑されたくらいであった。何も出来なかった。そのうちに洋画家は、だんだん逃腰になった。私は、苦しい中でも、Hを不憫《ふびん》に思った。Hは、もう、死ぬるつも
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