ょっちょっと舌打ちをしながら食べるんだよ、と全くなんの表情も無く、お天気の事でも言っているみたいに澄まして言うのでございます。まあ、その時の私の間のわるさ。連れの職工から、旦那とか色男とか言われた手前もあり、もう、どうしたらいいか、表面は何とかごまかし、泣き笑いして帰りましたが、途中で足駄の横緒《よこお》を踏み切って、雨の中をはだしで、尻端折《しりばしょ》りして黙々と歩いて、あの時のみじめな気持。いま思い出しても身震いが出ます。女性のうちで、最もしいたげられ、悲惨な暮しをしていると言われているあのおいらんでさえ、私にとっては、実におそろしい、雷神以外のものではなかったのでした。
こんな工合に女から手ひどい一撃をくらった経験は、もう私にはかずかぎりも無くございますが、その中でも、いまだに忘れ得ぬ恥辱の思い出だけを申し述べるとしても、それだけでも、たっぷり一箇月の連続講演を必要とするほど、それほどおびただしいのでございますから、きょうは、その忘れ得ぬ思い出の中から、あとほんの三つ四つ聞いていただく事にしまして、それでひとまず、おわかれという事に致そうかと存じます。
その神田の小さい印
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