ほうなのだから、私の物腰にもどこか上品な魅力があってそれでこんなに特別に可愛がられるのかしら、とまことに子供らしくない卑俗きわまる慢心を起し、いかにも坊ちゃんと言われてふさわしい子みたいに、わざとくにゃくにゃとからだを曲げ、ことさらに、はにかんで見せたり致しまして、じゃんけんしたら、奥さんのまけで、私がさきにかくれる事になりましたが、その時、学校の玄関のほうで物音がしまして、奥さんは聞き耳を立て、ちょっと行って見てまいりますから、坊ちゃんは、そのあいだにいいところへ隠れていてね、とにっと笑って言って玄関のほうへ小走りに走って行きまして、私は、すぐ教室の隅の机の下にもぐり込み、息をころして奥さんの捜しに来るのを待っていました。しばらくして、奥さんは、旦那《だんな》さんと一緒にやって来ました。あの子は、ねばねばして、気味がわるいから、あなたに一度うんと叱っていただきたいと思いまして、と奥さんが言い、旦那さんは、そうか、どこにいるんだ、と言い、奥さんは平然と、どこかそこらにいるでしょう? と言い、旦那さんは、つかつかと私の隠れている机のほうに歩いて来て、おいおい、そんなところで何をしているのだ、ばかやろう、と言い、ああ、私はもそもそと机の下で四つ這《ば》いの形のままで、あまり恥ずかしくて出るに出られず、あの奥さんがうらめしくてぽたぽた涙を落しました。

 所詮《しょせん》は、私が愚かなせいでございましょう。しかし、それにしても、女の人のあの無慈悲は、いったいどこから出て来るのでございましょう。私のそれからの境涯に於いても、いつでもこの女の不意に発揮する強力なる残忍性のために私は、ずたずたに切られどおしでございました。
 父が死んでから、私の家の内部もあまり面白くない事ばかりでございまして、私は家の事はいっさい母と弟にまかせると宣言いたしまして、十七の春に東京に出て、神田の或る印刷所の小僧になりました。印刷所と申しましても、工場には主人と職工二人とそれから私と四人だけ働いている小さい個人経営の印刷所で、チラシだの名刺だのを引受けて刷っていたのでございますが、ちょうどその頃は日露戦争の直後で、東京でも電車が走りはじめるやら、ハイカラな西洋建築がどんどん出来るやら、たいへん景気のよい時代でございましたので、その小さい印刷所もなかなか多忙でございました。しかし、どんなにいそがしく
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