も、また、あてにすべからず)「太宰がちょっとした失敗をして、困っているから、」と申して(申してとは、あやしき言葉なり、無礼なり)借りて下さい。三月末には必ずお返しできます。お金、送るなり、又、兄御自身お遊びがてら御持参くだされたら(かれ自身は更に動く気なきものの如し、かさねて無礼なり)よろこび(よろこびとは、真らしきも、かれも落ちたるものなり)これに過ぎたるは、ございません。図々しい、わがままだ、勝手だ、なまいきだ、だらしない、いかなる叱正をも甘受いたす覚悟です(覚悟だけはいい。ちゃんと自分のことは知っている。けれども、知っているだけなり)只今、仕事をして居ります。この仕事ができれば(この辺同情す)お金がはいります。一日早ければ一日早いだけ助かります。二十日に要るのですけれど(日数に於いて掛値《かけね》あるが如し、注意を要す)おそくだと、私のほうでも都合つくのですが(虚飾のみ。人を愚弄《ぐろう》すること甚しきものあり)万事御了察のうえ、お願い申しあげます。何事も申しあげる力がございません(新派悲劇のせりふ[#「せりふ」に傍点]の如し、人を喰ってる)委細は拝眉の日に。三月十九日。治拝。(借金の手紙として全く拙劣を極むるものと認む。要するに、微塵《みじん》も誠意と認むるものなし。みなウソ文章なり)
「これはひどいですねえ。」私は思わず嘆声を発した。
「ひどいだろう? 呆《あき》れたろう。」
「いいえ、あなたの朱筆のほうがひどいですよ。僕の文章は、思っていた程でも無かった。狡智《こうち》の極を縦横に駆使した手紙のような気がしていたのですが、いま読んでみて案外まともなので拍子抜けがしたくらいです。だいいち、あなたにこんなに看破されて、こんな、こんな、」まぬけた悪鬼なんてあるもんじゃない、と言おうとしたのだが言えなかった。どこかで、まだ私がこの先輩をだましているのかも知れないと思ったからである。私が言い澱《よど》んでいると、先輩は、どれどれと言って私の手から巻紙を取り上げて、
「むかしの事だから、どんな文句か忘れてしまった。」と呟《つぶや》いて読んでいるうちに、噴き出してしまった。「君も馬鹿だねえ。」と言った。
 馬鹿。この言葉に依って私は救われた。私は、サタンではなかった。悪鬼でもなかった。馬鹿であった。バカというものであった。考えてみると、私の悪事は、たいてい片っ端から皆に見破られ、呆れられ笑われて来たようである。どうしても完璧の瞞着《まんちゃく》が出来なかった。しっぽが出ていた。
「僕はね、或る学生からサタンと言われたんです。」私は少しくつろいで事情を打ち明けた。「いまいましくて仕様が無いから、いろいろ研究しているのですが、いったい、悪魔だの、悪鬼だのというものが此の世の中に居るんでしょうか。僕には、人がみんな善い弱いものに見えるだけです。人のあやまちを非難する事が出来ないのです。無理もないというような気がするのです。しんから悪い人なんて僕は見た事がない。みんな、似たようなものじゃないんですか?」
「君には悪魔の素質があるから、普通の悪には驚かないのさ。」先輩は平気な顔をして言った。「大悪漢から見れば、この世の人たちは、みんな甘くて弱虫だろうよ。」
 私は再び暗憺《あんたん》たる気持ちになった。これは、いけない。「馬鹿」で救われて、いい気になっていたら、ひどい事になった。
「そうですか。」私は、うらめしかった。「それでは、あなたも、やっぱり私を信用していないのですね。そういうもんかなあ。」
 先輩は笑い出した。
「怒るなよ。君は、すぐ怒るからいけない。君がいま人のあやまちを非難する事が出来ないとか何とか、キリストみたいに立派な事を言うもんだから、ちょっと、厭味を言ってみたんだ。しんから悪い人なんて見た事が無いと君は言うけれども、僕は見た事がある。二、三年前に新聞で読んだ事がある。ポストにマッチの火を投げ入れて、ポストの中の郵便物を燃やして喜んでいた男があった。狂人ではない。目的の無い遊戯なんだ。毎日、毎日、あちこちのポストの中の郵便物を焼いて歩いた。」
「それあ、ひどい。」そいつは、悪魔だ。みじんも同情の余地が無い。しんから悪いやつだ。そんな奴を見つけたら、私だって滅茶滅茶にぶん殴ってやる事が出来る。死刑以上の刑罰を与えよ。そいつは、悪魔だ。それに較べたら、私はやっぱり、ただの「馬鹿」であった。もう之で、解決がついた。私は此の世の悪魔を見た。そいつは、私と全然ちがうものであった。私は悪魔でも悪鬼でもない。ああ、先輩はいい事を知らせてくれた。感謝である、とその日から四、五日間は、胸の内もからりとしていたのであるが、また、いけなかった。つい先日、私は、またもや、悪魔! と呼ばれた。一生、私につきまとう思想であろうか。
 私の小説には、
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