衣を着ながら、「僕たちが前から計画してゐたのです。Sさんが配給の上等酒をとつて置いたさうですから、これから皆で、それをごちそうになりに行きませう。Nさんのごちそうにばかりなつてゐては、いけません。」
私はT君の言ふ事におとなしく従つた。だから、T君が傍についてゐてくれると、心強いのである。
Eといふ旅館は、なかなか綺麗だつた。部屋の床の間も、ちやんとしてゐたし、便所も清潔だつた。ひとりでやつて来て泊つても、わびしくない宿だと思つた。いつたいに、津軽半島の東海岸の旅館は、西海岸のそれと較べると上等である。昔から多くの他国の旅人を送り迎へした伝統のあらはれかも知れない。昔は北海道へ渡るのに、かならず三厩から船出する事になつてゐたので、この外ヶ浜街道はそのための全国の旅人を朝夕送迎してゐたのである。旅館のお膳にも蟹が附いてゐた。
「やつぱり、蟹田だなあ。」と誰か言つた。
T君はお酒を飲めないので、ひとり、さきにごはんを食べたが、他の人たちは、皆、Sさんの上等酒を飲み、ごはんを後廻しにした。酔ふに従つてSさんは、上機嫌になつて来た。
「私はね、誰の小説でも、みな一様に好きなんです。読んでみると、みんな面白い。なかなか、どうして、上手なものです。だから私は、小説家つてやつを好きで仕様が無いんです。どんな小説家でも、好きで好きでたまらないんです。私は、子供を、男の子で三つになりましたがね、こいつを小説家にしようと思つてゐるんです。名前も、文男と附けました。文《ぶん》の男《をとこ》と書きます。頭の恰好が、どうも、あなたに似てゐるやうです。失礼ながら、そんな工合に、はちが開いてゐるやうな形なのです。」
私の頭が、鉢が開いてゐるとは初耳であつた。私は、自分の容貌のいろいろさまざまの欠点を残りくま無く知悉してゐるつもりであつたが、頭の形までへんだとは気がつかなかつた。自分で気の附かない欠点がまだまだたくさんあるのではあるまいかと、他の作家の悪口を言つた直後でもあつたし、ひどく不安になつて来た。Sさんは、いよいよ上機嫌で、
「どうです。お酒もそろそろ無くなつたやうですし、これから私の家へみんなでいらつしやいませんか。ね。ちよつとでいいんです。うちの女房にも、文男にも、逢つてやつて下さい。たのみます。リンゴ酒なら、蟹田には、いくらでもありますから、家へ来て、リンゴ酒を、ね。」と、しきりに私を誘惑するのである。御好志はありがたかつたが、私は頭の鉢以来、とみに意気が沮喪して、早くN君の家へ引上げて、一寝入りしたかつた。Sさんのお家へ行つて、こんどは頭の鉢どころか、頭の内容まで見破られ、ののしられるやうな結果になるのではあるまいかと思へばなほさら気が重かつた。私は、れいに依つてT君の顔色を伺つた。T君が行けと言へば、これは、行かなくてはなるまいと覚悟してゐた。T君は、真面目な顔をしてちよつと考へ、
「行つておやりになつたら? Sさんは、けふは珍らしくひどく酔つてゐるやうですが、ずいぶん前から、あなたのおいでになるのを楽しみにして待つてゐたのです。」
私は行く事にした。頭の鉢にこだはる事は、やめた。あれはSさんが、ユウモアのつもりでおつしやつたのに違ひないと思ひ直した。どうも、容貌に自信が無いと、こんなつまらぬ事にもくよくよしていけない。容貌に就いてばかりでなく、私にいま最も欠けてゐるものは「自信」かも知れない。
Sさんのお家へ行つて、その津軽人の本性を暴露した熱狂的な接待振りには、同じ津軽人の私でさへ少しめんくらつた。Sさんは、お家へはひるなり、たてつづけに奥さんに用事を言ひつけるのである。「おい、東京のお客さんを連れて来たぞ。たうとう連れて来たぞ。これが、そのれいの太宰つて人なんだ。挨拶をせんかい。早く出て来て拝んだらよからう。ついでに、酒だ。いや、酒はもう飲んぢやつたんだ。リンゴ酒を持つて来い。なんだ、一升しか無いのか。少い! もう二升買つて来い。待て。その縁側にかけてある干鱈《ひだら》をむしつて、待て、それは金槌《かなづち》でたたいてやはらかくしてから、むしらなくちや駄目なものなんだ。待て、そんな手つきぢやいけない、僕がやる。干鱈をたたくには、こんな工合ひに、こんな工合ひに、あ、痛え、まあ、こんな工合ひだ。おい、醤油を持つて来い。干鱈には醤油をつけなくちや駄目だ。コツプが一つ、いや二つ足りない。早く持つて来い、待て、この茶飲茶碗でもいいか。さあ、乾盃、乾盃。おうい、もう二升買つて来い、待て、坊やを連れて来い。小説家になれるかどうか、太宰に見てもらふんだ。どうです、この頭の形は、こんなのを、鉢がひらいてゐるといふんでせう。あなたの頭の形に似てゐると思ふんですがね。しめたものです。おい、坊やをあつちへ連れて行け。うるさくてかなはない。お客さんの前に、こんな汚い子を連れて来るなんて、失敬ぢやないか。成金趣味だぞ。早くリンゴ酒を、もう二升。お客さんが逃げてしまふぢやないか。待て、お前はここにゐてサアヴイスをしろ。さあ、みんなにお酌。リンゴ酒は隣りのをばさんに頼んで買つて来てもらへ。をばさんは、砂糖をほしがつてゐたから少しわけてやれ。待て、をばさんにやつちやいかん。東京のお客さんに、うちの砂糖全部お土産に差し上げろ。いいか、忘れちやいけないよ。全部、差し上げろ。新聞紙で包んでそれから油紙で包んで紐でゆはへて差し上げろ。子供を泣かせちや、いかん。失敬ぢやないか。成金趣味だぞ。貴族つてのはそんなものぢやないんだ。待て。砂糖はお客さんがお帰りの時でいいんだつてば。音楽、音楽。レコードをはじめろ。シユーベルト、シヨパン、バツハ、なんでもいい。音楽を始めろ。待て。なんだ、それは、バツハか。やめろ。うるさくてかなはん。話も何も出来やしない。もつと静かなレコードを掛けろ、待て、食ふものが無くなつた。アンコーのフライを作れ。ソースがわがニの自慢と来てゐる。果してお客さんのお気に召すかどうか、待て、アンコーのフライとそれから、卵味噌のカヤキを差し上げろ。これは津軽で無ければ食へないものだ。さうだ。卵味噌だ。卵味噌に限る。卵味噌だ。卵味噌だ。」
私は決して誇張法を用みて描写してゐるのではない。この疾風怒濤の如き接待は、津軽人の愛情の表現なのである。干鱈《ひだら》といふのは、大きい鱈を吹雪にさらして凍らせて干したもので、芭蕉翁などのよろこびさうな軽い閑雅な味のものであるが、Sさんの家の縁側には、それが五、六本つるされてあつて、Sさんは、よろよろと立ち上り、それを二、三本ひつたくつて、滅多矢鱈に鉄槌で乱打し、左の親指を負傷して、それから、ころんで、這ふやうにして皆にリンゴ酒を注いで廻り、頭の鉢の一件も、決してSさんは私をからかふつもりで言つたのではなく、また、ユウモアのつもりで言つたのでもなかつたのだといふ事が私にはつきりわかつて来た。Sさんは、鉢のひらいた頭といふものを、真剣に尊敬してゐるらしいのである。いいものだと思つてゐるらしいのである。津軽人の愚直可憐、見るべしである。さうして、つひには、卵味噌、卵味噌と連呼するに到つたのであるが、この卵味噌のカヤキなるものに就いては、一般の読者には少しく説明が要るやうに思はれる。津軽に於いては、牛鍋、鳥鍋の事をそれぞれ、牛のカヤキ、鳥のカヤキといふ工合に呼ぶのである。貝焼《かひやき》の訛りであらうと思はれる。いまはさうでもないやうだけれど、私の幼少の頃には、津軽に於いては、肉を煮るのに、帆立貝の大きい貝殻を用ゐてゐた。貝殻から幾分ダシが出ると盲信してゐるところも無いわけではないやうであるが、とにかく、これは先住民族アイヌの遺風ではなからうかと思はれる。私たちは皆、このカヤキを食べて育つたのである。卵味噌のカヤキといふのは、その貝の鍋を使ひ、味噌に鰹節をけづつて入れて煮て、それに鶏卵を落して食べる原始的な料理であるが、実は、これは病人の食べるものなのである。病気になつて食がすすまなくなつた時、このカヤキの卵味噌をお粥に載せて食べるのである。けれども、これもまた津軽特有の料理の一つにはちがひなかつた。Sさんは、それを思ひつき、私に食べさせようとして連呼してゐるのだ。私は奥さんに、もうたくさんですから、と拝むやうに頼んでSさんの家を辞去した。読者もここに注目をしていただきたい。その日のSさんの接待こそ、津軽人の愛情の表現なのである。しかも、生粋《きつすい》の津軽人のそれである。これは私に於いても、Sさんと全く同様な事がしばしばあるので、遠慮なく言ふ事が出来るのであるが、友あり遠方より来た場合には、どうしたらいいかわか轤ネくなつてしまふのである。ただ胸がわくわくして意味も無く右往左往し、さうして電燈に頭をぶつけて電燈の笠を割つたりなどした経験さへ私にはある。食事中に珍客があらはれた場合に、私はすぐに箸を投げ出し、口をもぐもぐさせながら玄関に出るので、かへつてお客に顔をしかめられる事がある。お客を待たせて、心静かに食事をつづけるなどといふ芸当は私には出来ないのである。さうしてSさんの如く、実質に於いては、到れりつくせりの心づかひをして、さうして何やらかやら、家中のもの一切合切持ち出して饗応しても、ただ、お客に閉口させるだけの結果になつて、かへつて後でそのお客に自分の非礼をお詫びしなければならぬなどといふ事になるのである。ちぎつては投げ、むしつては投げ、取つて投げ、果ては自分の命までも、といふ愛情の表現は、関東、関西の人たちにはかへつて無礼な暴力的なもののやうに思はれ、つひには敬遠といふ事になるのではあるまいか、と私はSさんに依つて私自身の宿命を知らされたやうな気がして、帰る途々、Sさんがなつかしく気の毒でならなかつた。津軽人の愛情の表現は、少し水で薄めて服用しなければ、他国の人には無理なところがあるかも知れない。東京の人は、ただ妙にもつたいぶつて、チヨツピリづつ料理を出すからなあ。ぶえんの平茸《ひらたけ》ではないけれど、私も木曾殿みたいに、この愛情の過度の露出のゆゑに、どんなにいままで東京の高慢な風流人たちに蔑視せられて来た事か。「かい給へ、かい給へや。」とぞ責めたりける、である。
後で聞いたが、Sさんはそれから一週間、その日の卵味噌の事を思ひ出すと恥づかしくて酒を飲まずには居られなかつたといふ。ふだんは人一倍はにかみやの、神経の繊細な人らしい。これもまた津軽人の特徴である。生粋の津軽人といふものは、ふだんは、決して粗野な野蛮人ではない。なまなかの都会人よりも、はるかに優雅な、こまかい思ひやりを持つてゐる。その抑制が、事情に依つて、どつと堰を破つて奔騰する時、どうしたらいいかわからなくなつて、「ぶえんの平茸ここにあり、とうとう。」といそがす形になつてしまつて、軽薄の都会人に顰蹙せられるくやしい結果になるのである。Sさんはその翌日、小さくなつて酒を飲み、そこへ一友人がたづねて行つて、
「どう? あれから奥さんに叱られたでせう?」と笑ひながら尋ねたら、Sさんは、処女の如くはにかんで、「いいえ、まだ。」と答へたといふ。
叱られるつもりでゐるらしい。
三 外ヶ浜
Sさんの家を辞去してN君の家へ引上げ、N君と私は、さらにまたビールを飲み、その夜はT君も引きとめられてN君の家へ泊る事になつた。三人一緒に奥の部屋に寝たのであるが、T君は翌朝早々、私たちのまだ眠つてゐるうちにバスで青森へ帰つた。勤めがいそがしい様子である。
「咳をしてゐたね。」T君が起きて身支度をしながらコンコンと軽い咳をしてゐたのを、私は眠つてゐながらも耳ざとく聞いてへんに悲しかつたので、起きるとすぐにN君にさう言つた。N君も起きてズボンをはきながら、
「うん、咳をしてゐた。」と厳粛な顔をして言つた。酒飲みといふものは、酒を飲んでゐない時にはひどく厳粛な顔をしてゐるものである。いや、顔ばかりではないかも知れない。心も、きびしくなつてゐるものである。「あまり、いい咳ぢやなかつたね。」N君も、さすがに、眠つてゐるやうではあつても、ちやんとそれを聞き取
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