、穴三つ並べり。是義経の馬を立給ひし所となり。是によりて此地を三馬屋と称するなりとぞ。」と、何の疑ひもさしはさまずに記してあるし、また、「奥州津軽の外ヶ浜に平館といふ所あり。此所の北にあたり巌石海に突出たる所あり、是を石崎の鼻といふ。其所を越えて暫く行けば朱谷《しゆだに》あり。山々高く聳えたる間より細き谷川流れ出て海に落る。此谷の土石皆朱色なり。水の色までいと赤く、ぬれたる石の朝日に映ずるいろ誠に花やかにして目さむる心地す。其落る所の海の小石までも多く朱色なり。北辺の海中の魚皆赤しと云。谷にある所の朱の気によりて、海中の魚、或は石までも朱色なること無情有情ともに是に感ずる事ふしぎなり。」と言つてすましてゐるかと思ふと、また、おきなと称する怪魚が北海に住んでゐて、「其大きさ二里三里にも及べるにや、つひに其魚の全身を見たる人はなし。稀れに海上に浮たるを見るに大なる島いくつも出来たるごとくなり、是おきなの背中尾鰭などの少しづつ見ゆるなりとぞ。二十尋三十尋の鯨を呑む事、鯨の鰯を呑むがごとくなるゆゑ、此魚来れば鯨東西に逃走るなり。」などと言つておどかしたり、また、「此三馬屋に逗留せし頃、一夜、此
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