どうやら無難のやうである。
その前日には西風が強く吹いて、N君の家の戸障子をゆすぶり、「蟹田つてのは、風の町だね。」と私は、れいの独り合点の卓説を吐いたりなどしてゐたものだが、けふの蟹田町は、前夜の私の暴論を忍び笑ふかのやうな、おだやかな上天気である。そよとの風も無い。観瀾山の桜は、いまが最盛期らしい。静かに、淡く咲いてゐる。爛漫といふ形容は、当つてゐない。花弁も薄くすきとほるやうで、心細く、いかにも雪に洗はれて咲いたといふ感じである。違つた種類の桜かも知れないと思はせる程である。ノヴアリスの青い花も、こんな花を空想して言つたのではあるまいかと思はせるほど、幽かな花だ。私たちは桜花の下の芝生にあぐらをかいて坐つて、重箱をひろげた。これは、やはり、N君の奥さんのお料理である。他に、蟹とシヤコが、大きい竹の籠に一ぱい。それから、ビール。私はいやしく見られない程度に、シャコの皮をむき、蟹の脚をしやぶり、重箱のお料理にも箸をつけた。重箱のお料理の中では、ヤリイカの胴にヤリイカの透明な卵をぎゆうぎゆうつめ込んで、そのままお醤油の附焼きにして輪切りにしてあつたのが、私にはひどくおいしかつた。帰還
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