来てゐた。また、その病院の蟹田分院の事務長をしてゐるSさんといふ人も一緒に来てゐた。私が顔を洗つてゐる間に、三厩の近くの今別から、Mさんといふ小説の好きな若い人も、私が蟹田に来る事をN君からでも聞いてゐたらしく、はにかんで笑ひながらやつて来られた。Mさんは、N君とも、またT君とも、Sさんとも旧知の間柄のやうである。これから、すぐ皆で、蟹田の山へ花見に行かうといふ相談が、まとまつた様子である。
観瀾山《くわんらんざん》。私はれいのむらさきのジヤンパーを着て、緑色のゲートルをつけて出掛けたのであるが、そのやうなものものしい身支度をする必要は全然なかつた。その山は、蟹田の町はづれにあつて、高さが百メートルも無いほどの小山なのである。けれども、この山からの見はらしは、悪くなかつた。その日は、まぶしいくらゐの上天気で、風は少しも無く、青森湾の向うに夏泊岬が見え、また、平館海峡をへだてて下北半島が、すぐ真近かに見えた。東北の海と言へば、南方の人たちは或いは、どす暗く険悪で、怒濤逆巻く海を想像するかも知れないが、この蟹田あたりの海は、ひどく温和でさうして水の色も淡く、塩分も薄いやうに感ぜられ、磯の
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