、リンゴ酒を出しませうと言ふのだが、僕はそんな筈は無い、あいつがビールや日本酒をきらひになつた筈は無い、あいつは、がらにも無く遠慮をしてゐるのに違ひないと言つたんだ。」
「でも、奥さんの言も当つてゐない事はないんだ。」
「何を言つてる。もう、よせ。日本酒をさきにしますか? ビール?」
「ビールは、あとのはうがいい。」私も少し図々しくなつて来た。
「僕もそのはうがいい。おうい、お酒だ。お燗がぬるくてもかまはないから、すぐ持つて来てくれ。」
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何れの処か酒を忘れ難き。天涯旧情を話す。
青雲倶に達せず、白髪|逓《たがひ》に相驚く。
二十年前に別れ、三千里外に行く。
此時|一盞《いつさん》無くんば、何を以てか平生を叙せん。 (白居易)
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私は、中学時代には、よその家へ遊びに行つた事は絶無であつたが、どういふわけか、同じクラスのN君のところへは、実にしばしば遊びに行つた。N君はその頃、寺町の大きい酒屋の二階に下宿してゐた。私たちは毎朝、誘ひ合つて一緒に登校した。さうして、帰りには裏路の、海岸伝ひにぶらぶら歩いて、雨が降つても、あわてて走つたりなど
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