金木の近くの幾つかの部落を見た事はあつたが、それは現在の私に、なつかしい思ひ出として色濃く残つてはゐないのである。中学時代の暑中休暇には、金木の生家に帰つても、二階の洋室の長椅子に寝ころび、サイダーをがぶがぶラツパ飲みしながら、兄たちの蔵書を手当り次第に読み散らして暮し、どこへも旅行に出なかつたし、高等学校時代には、休暇になると必ず東京の、すぐ上の兄(この兄は彫刻を学んでゐたが、二十七歳で死んだ)その兄の家へ遊びに行つたし、高等学校を卒業と同時に東京の大学へ来て、それつきり十年も故郷へ帰らなかつたのであるから、このたびの津軽旅行は、私にとつて、なかなか重大の事件であつたと言はざるを得ない。
 私はこのたびの旅行で見て来た町村の、地勢、地質、天文、財政、沿革、教育、衛生などに就いて、専門家みたいな知つたかぶりの意見は避けたいと思ふ。私がそれを言つたところで、所詮は、一夜勉強の恥づかしい軽薄の鍍金《めつき》である。それらに就いて、くはしく知りたい人は、その地方の専門の研究家に聞くがよい。私には、また別の専門科目があるのだ。世人は仮りにその科目を愛と呼んでゐる。人の心と人の心の触れ合ひを研究
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