な町が、何百年も昔のままの姿で小さい軒を並べ、息をひそめてひつそりうずくまつてゐたのだ。ああ、こんなところにも町があつた。年少の私は夢を見るやうな気持で思はず深い溜息をもらしたのである。万葉集などによく出て来る「隠沼《こもりぬ》」といふやうな感じである。私は、なぜだか、その時、弘前を、津軽を、理解したやうな気がした。この町の在る限り、弘前は決して凡庸のまちでは無いと思つた。とは言つても、これもまた私の、いい気な独り合点で、読者には何の事やらおわかりにならぬかも知れないが、弘前城はこの隠沼を持つてゐるから稀代の名城なのだ、といまになつては私も強引に押切るより他はない。隠沼のほとりに万朶の花が咲いて、さうして白壁の天守閣が無言で立つてゐるとしたら、その城は必ず天下の名城にちがひない。さうして、その名城の傍の温泉も、永遠に淳朴の気風を失ふ事は無いであらうと、ちかごろの言葉で言へば「希望的観測」を試みて、私はこの愛する弘前城と訣別する事にしよう。思へば、おのれの肉親を語る事が至難な業であると同様に、故郷の核心を語る事も容易に出来る業ではない。ほめていいのか、けなしていいのか、わからない。私はこ
前へ 次へ
全228ページ中29ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
太宰 治 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング