ンクリート道路をバスに乗せて通らせたならば、呆然たるさまにて首をひねり、或いは、こぞの雪いまいづこなどといふ嘆を発するかも知れない。南谿の東遊記西遊記は江戸時代の名著の一つに数へられてゐるやうであるが、その凡例にも、「予が漫遊もと医学の為なれば医事にかかれることは雑談といへども別に記録して同志の人にも示キ。只此書は旅中見聞せる事を筆のついでにしるせるものにして、強て其事の虚実を正さず、誤りしるせる事も多かるべし。」とみづから告白してゐる如く、読者の好奇心を刺戟すれば足るといふやうな荒唐無稽に似た記事も少しとしないと言つてよい。他の地方の事は言はず、例をこの外ヶ浜近辺に就いての記事だけに限つて言つても、「奥州三馬屋(作者註。三厩の古称。)は、松前渡海の津にて、津軽領外ヶ浜にありて、日本東北の限りなり。むかし源義経、高館をのがれ蝦夷へ渡らんと此所迄来り給ひしに、渡るべき順風なかりしかば数日逗留し、あまりにたへかねて、所持の観音の像を海底の岩の上に置て順風を祈りしに、忽ち風かはり恙なく松前の地に渡り給ひぬ。其像今に此所の寺にありて義経の風祈りの観音といふ。又波打際に大なる岩ありて馬屋のごとく、穴三つ並べり。是義経の馬を立給ひし所となり。是によりて此地を三馬屋と称するなりとぞ。」と、何の疑ひもさしはさまずに記してあるし、また、「奥州津軽の外ヶ浜に平館といふ所あり。此所の北にあたり巌石海に突出たる所あり、是を石崎の鼻といふ。其所を越えて暫く行けば朱谷《しゆだに》あり。山々高く聳えたる間より細き谷川流れ出て海に落る。此谷の土石皆朱色なり。水の色までいと赤く、ぬれたる石の朝日に映ずるいろ誠に花やかにして目さむる心地す。其落る所の海の小石までも多く朱色なり。北辺の海中の魚皆赤しと云。谷にある所の朱の気によりて、海中の魚、或は石までも朱色なること無情有情ともに是に感ずる事ふしぎなり。」と言つてすましてゐるかと思ふと、また、おきなと称する怪魚が北海に住んでゐて、「其大きさ二里三里にも及べるにや、つひに其魚の全身を見たる人はなし。稀れに海上に浮たるを見るに大なる島いくつも出来たるごとくなり、是おきなの背中尾鰭などの少しづつ見ゆるなりとぞ。二十尋三十尋の鯨を呑む事、鯨の鰯を呑むがごとくなるゆゑ、此魚来れば鯨東西に逃走るなり。」などと言つておどかしたり、また、「此三馬屋に逗留せし頃、一夜、此家の近きあたりの老人来りぬれば、家内の祖父祖母《ぢぢばば》など打集り、囲炉裏にまとゐして四方山の物語せしに彼者共語りしは、扨も此二三十年以前松前の津波程おそろしかりしことはあらず、其頃風も静に雨も遠かりしが、只何となく空の気色打くもりたるやうなりしに、夜々折々光り物して東西に虚空を飛行するものあり、漸々に甚敷、其四五日前に到れば白昼にもいろいろの神々虚空を飛行し給ふ。衣冠にて馬上に見ゆるもあり、或は竜に乗り雲に乗り、或は犀象のたぐひに打乗り、白き装束なるもあり、赤き青き色々の出立にて、其姿も亦大なるもあり小きもあり、異類異形の仏神空中にみちみちて東西に飛行し玉ふ。我々も皆外へ出て毎日々々いと有難くをがみたり。不思議なる事にてまのあたり拝み奉ることよと四五日が程もいひくらすうちに、ある夕暮、沖の方を見やりたるに、真白にして雪の山の如きもの遥に見ゆ。あれ見よ、又ふしぎなるものの海中に出来たれといふうちに、だんだんに近く寄り来りて、近く見えし嶋山の上を打越して来るを見るに大浪の打来るなり。すは津波こそ、はや逃げよ、と老若男女われさきにと逃迷ひしかど、しばしが間に打寄て、民屋田畑草木禽獣まで少しも残らず海底のみくづと成れば、生残る人民、海辺の村里には一人もなし、扨こそ初に神々の雲中を飛行し給ひけるは此大変ある事をしろしめして此地を逃去り給ひしなるべしといひ合て恐れ侍りぬと語りぬ。」などといふ、もつたいないやうな、また夢のやうな事も、平易の文章でさらさらと書き記されてゐるのである。現在のこの辺の風景に就いては、この際、あまり具体的に書かぬはうがよいと思はれるし、荒唐無稽とは言つても、せめて古人の旅行記など書き写し、そのお伽噺みたいな雰囲気にひたつてみるのも一興と思はれて、実は、東遊記の二三の記事をここに抜書きしたといふわけでもあつたのだが、ついでにもう一つ、小説の好きな人には殊にも面白く感ぜられるのではあるまいかと思はれる記事があるから紹介しよう。
「奥州津軽の外ヶ浜に在りし頃、所の役人より丹後の人は居ずやと頻りに吟味せし事あり。いかなるゆゑぞと尋ぬるに、津軽の岩城山《いはきやま》の神はなはだ丹後の人を忌嫌ふ、もし忍びても丹後の人此地に入る時は天気大きに損じて風雨打続き船の出入無く、津軽領はなはだ難儀に及ぶとなり。余が遊びし頃も打続き風悪しかりければ、丹後の人の入りて居るにや
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