し顔に言ふ。
私の立場は、いけなくなるばかりだ。
「そりや、いいはうかも知れない。まあ、いいはうだらう。しかし、君たちは、僕を前に置きながら、僕の作品に就いて一言も言つてくれないのは、ひどいぢやないか。」私は笑ひながら本音《ほんね》を吐いた。
みんな微笑した。やはり、本音を吐くに限る、と私は図に乗り、
「僕の作品なんかは、滅茶苦茶だけれど、しかし僕は、大望を抱いてゐるんだ。その大望が重すぎて、よろめいてゐるのが僕の現在のこの姿だ。君たちには、だらしのない無智な薄汚い姿に見えるだらうが、しかし僕は本当の気品といふものを知つてゐる。松葉の形の干菓子《ひぐわし》を出したり、青磁の壺に水仙を投げ入れて見せたつて、僕はちつともそれを上品だとは思はない。成金趣味だよ、失敬だよ。本当の気品といふものは、真黒いどつしりした大きい岩に白菊一輪だ。土台に、むさい大きい岩が無くちや駄目なもんだ。それが本当の上品といふものだ。君たちなんか、まだ若いから、針金で支へられたカーネーションをコツプに投げいれたみたいな女学生くさいリリシズムを、芸術の気品だなんて思つてゐやがる。」
暴言であつた。「他の短を挙げて、己が長を顕すことなかれ。人を譏りておのれに誇るは甚だいやし。」この翁の行脚の掟は、厳粛の真理に似てゐる。じつさい、甚だいやしいものだ。私にはこのいやしい悪癖があるので、東京の文壇に於いても、皆に不愉快の感を与へ、薄汚い馬鹿者として遠ざけられてゐるのである。「まあ、仕様が無いや。」と私は、うしろに両手をついて仰向き、「僕の作品なんか、まつたく、ひどいんだからな。何を言つたつて、はじまらん。でも、君たちの好きなその作家の十分の一くらゐは、僕の仕事をみとめてくれてもいいぢやないか。君たちは、僕の仕事をさつぱりみとめてくれないから、僕だつて、あらぬ事を口走りたくなつて来るんだ。みとめてくれよ。二十分の一でもいいんだ。みとめろよ。」
みんな、ひどく笑つた。笑はれて、私も、気持がたすかつた。蟹田分院の事務長のSさんが、腰を浮かして、
「どうです。この辺で、席を変へませんか。」と、世慣れた人に特有の慈悲深くなだめるやうな口調で言つた。蟹田町で一ばん大きいEといふ旅館に、皆の昼飯の仕度をさせてあるといふ。いいのか、と私はT君に眼でたづねた。
「いいんです。ごちそうになりませう。」T君は立ち上つて上衣を着ながら、「僕たちが前から計画してゐたのです。Sさんが配給の上等酒をとつて置いたさうですから、これから皆で、それをごちそうになりに行きませう。Nさんのごちそうにばかりなつてゐては、いけません。」
私はT君の言ふ事におとなしく従つた。だから、T君が傍についてゐてくれると、心強いのである。
Eといふ旅館は、なかなか綺麗だつた。部屋の床の間も、ちやんとしてゐたし、便所も清潔だつた。ひとりでやつて来て泊つても、わびしくない宿だと思つた。いつたいに、津軽半島の東海岸の旅館は、西海岸のそれと較べると上等である。昔から多くの他国の旅人を送り迎へした伝統のあらはれかも知れない。昔は北海道へ渡るのに、かならず三厩から船出する事になつてゐたので、この外ヶ浜街道はそのための全国の旅人を朝夕送迎してゐたのである。旅館のお膳にも蟹が附いてゐた。
「やつぱり、蟹田だなあ。」と誰か言つた。
T君はお酒を飲めないので、ひとり、さきにごはんを食べたが、他の人たちは、皆、Sさんの上等酒を飲み、ごはんを後廻しにした。酔ふに従つてSさんは、上機嫌になつて来た。
「私はね、誰の小説でも、みな一様に好きなんです。読んでみると、みんな面白い。なかなか、どうして、上手なものです。だから私は、小説家つてやつを好きで仕様が無いんです。どんな小説家でも、好きで好きでたまらないんです。私は、子供を、男の子で三つになりましたがね、こいつを小説家にしようと思つてゐるんです。名前も、文男と附けました。文《ぶん》の男《をとこ》と書きます。頭の恰好が、どうも、あなたに似てゐるやうです。失礼ながら、そんな工合に、はちが開いてゐるやうな形なのです。」
私の頭が、鉢が開いてゐるとは初耳であつた。私は、自分の容貌のいろいろさまざまの欠点を残りくま無く知悉してゐるつもりであつたが、頭の形までへんだとは気がつかなかつた。自分で気の附かない欠点がまだまだたくさんあるのではあるまいかと、他の作家の悪口を言つた直後でもあつたし、ひどく不安になつて来た。Sさんは、いよいよ上機嫌で、
「どうです。お酒もそろそろ無くなつたやうですし、これから私の家へみんなでいらつしやいませんか。ね。ちよつとでいいんです。うちの女房にも、文男にも、逢つてやつて下さい。たのみます。リンゴ酒なら、蟹田には、いくらでもありますから、家へ来て、リンゴ酒を、ね。」と、し
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