んは、少しもこだはるところがなく、「まづ第一に、米の供出高を書いてもらひたいね。警察署管内の比較では、この木造署管内は、全国一だ。どうです、日本一ですよ。これは、僕たちの努力の結晶と言つても、差支へ無いと思ふ。この辺一帯の田の、水が枯れた時に、僕は隣村へ水をもらひに行つて、つひに大成功して、大トラ変じて水虎大明神といふ事になつたのです。僕たちも、地主だからつて、遊んでは居られない。僕は脊髄がわるいんだけど、でも、田の草取りをしましたよ。まあ、こんどは東京のあんた達にも、おいしいごはんがどつさり配給されるでせう。」たのもしい限りである。Mさんは、小さい頃から、闊達な気性のひとであつた。子供つぽいくりくりした丸い眼に魅力があつて、この地方の人たち皆に敬愛せられてゐるやうだ。私は、心の中でMさんの仕合せを祈り、なほも引きとめられるのを汗を流して辞去し、午後一時の深浦行きの汽車にやつと間に合ふ事が出来た。
 木造から、五能線に依つて約三十分くらゐで鳴沢、鰺ヶ沢を過ぎ、その辺で津軽平野もおしまひになつて、それから列車は日本海岸に沿うて走り、右に海を眺め左にすぐ出羽丘陵北端の余波の山々を見ながら一時間ほど経つと、右の窓に大戸瀬の奇勝が展開する。この辺の岩石は、すべて角稜質凝灰岩とかいふものださうで、その海蝕を受けて平坦になつた斑緑色の岩盤が江戸時代の末期にお化けみたいに海上に露出して、数百人の宴会を海浜に於いて催す事が出来るほどのお座敷になつたので、これを千畳敷と名附け、またその岩盤のところどころが丸く窪んで海水を湛へ、あたかもお酒をなみなみと注いだ大盃みたいな形なので、これを盃沼《さかづきぬま》と称するのださうだけれど、直径一尺から二尺くらゐのたくさんの大穴をことごとく盃と見たてるなど、よつぽどの大酒飲みが名附けたものに違ひない。この辺の海岸には奇岩削立し、怒濤にその脚を絶えず洗はれてゐる、と、まあ、名所案内記ふうに書けば、さうもなるのだらうが、外ヶ浜北端の海浜のやうな異様な物凄さは無く、謂はば全国到るところにある普通の「風景」になつてしまつてゐて、津軽独得の佶屈とでもいふやうな他国の者にとつて特に難解の雰囲気は無い。つまり、ひらけてゐるのである。人の眼に、舐められて、明るく馴れてしまつてゐるのである。れいの竹内運平氏は「青森県通史」に於いて、この辺以南は、昔からの津軽領ではなく、秋田領であつたのを、慶長八年に隣藩佐竹氏と談合の上、これを津軽領に編入したといふやうな記録もあると言つてゐる。私などただ旅の風来坊の無責任な直感だけで言ふのだが、やはり、もうこの辺から、何だか、津軽ではないやうな気がするのである。津軽の不幸な宿命は、ここには無い。あの、津軽特有の「要領の悪さ」は、もはやこの辺には無い。山水を眺めただけでも、わかるやうな気がする。すべて、充分に聡明である。所謂、文化的である。ばかな傲慢な心は持つてゐない。大戸瀬から約四十分で、深浦へ着くのだが、この港町も、千葉の海岸あたりの漁村によく見受けられるやうな、決して出しやばらうとせぬつつましい温和な表情、悪く言へばお利巧なちやつかりした表情をして、旅人を無言で送迎してゐる。つまり、旅人に対しては全く無関心のふうを示してゐるのである。私は、深浦のこのやうな雰囲気を深浦の欠点として挙げて言つてゐるのでは決してない。そんな表情でもしなければ、人はこの世に生きて行き切れな「のではないかとも思つてゐる。これは、成長してしまつた大人の表情なのかも知れない。何やら自信が、奥深く沈潜してゐる。津軽の北部に見受けられるやうな、子供つぽい悪あがきは無い。津軽の北部は、生煮えの野菜みたいだが、ここはもう透明に煮え切つてゐる。ああ、さうだ。かうして較べてみるとよくわかる。津軽の奥の人たちには、本当のところは、歴史の自信といふものがないのだ。まるつきりないのだ。だから、矢鱈に肩をいからして、「かれは賤しきものなるぞ。」などと人の悪口ばかり言つて、傲慢な姿勢を執らざるを得なくなるのだ。あれが、津軽人の反骨となり、剛情となり、佶屈となり、さうして悲しい孤独の宿命を形成するといふ事になつたのかも知れない。津軽の人よ、顔を挙げて笑へよ。ルネツサンス直前の鬱勃たる擡頭力をこの地に認めると断言してはばからぬ人さへあつたではないか。日本の文華が小さく完成して行きづまつてゐる時、この津軽地方の大きい未完成が、どれだけ日本の希望になつてゐるか、一夜しづかに考へて、などといふとすぐ、それそれそんなに不自然に肩を張る。人からおだてられて得た自信なんてなんにもならない。知らん振りして、信じて、しばらく努力を続けて行かうではないか。
 深浦町は、現在人口五千くらゐ、旧津軽領西海岸の南端の港である。江戸時代、青森、鯵ヶ沢、十三などと共に四
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