の前に、こんな汚い子を連れて来るなんて、失敬ぢやないか。成金趣味だぞ。早くリンゴ酒を、もう二升。お客さんが逃げてしまふぢやないか。待て、お前はここにゐてサアヴイスをしろ。さあ、みんなにお酌。リンゴ酒は隣りのをばさんに頼んで買つて来てもらへ。をばさんは、砂糖をほしがつてゐたから少しわけてやれ。待て、をばさんにやつちやいかん。東京のお客さんに、うちの砂糖全部お土産に差し上げろ。いいか、忘れちやいけないよ。全部、差し上げろ。新聞紙で包んでそれから油紙で包んで紐でゆはへて差し上げろ。子供を泣かせちや、いかん。失敬ぢやないか。成金趣味だぞ。貴族つてのはそんなものぢやないんだ。待て。砂糖はお客さんがお帰りの時でいいんだつてば。音楽、音楽。レコードをはじめろ。シユーベルト、シヨパン、バツハ、なんでもいい。音楽を始めろ。待て。なんだ、それは、バツハか。やめろ。うるさくてかなはん。話も何も出来やしない。もつと静かなレコードを掛けろ、待て、食ふものが無くなつた。アンコーのフライを作れ。ソースがわがニの自慢と来てゐる。果してお客さんのお気に召すかどうか、待て、アンコーのフライとそれから、卵味噌のカヤキを差し上げろ。これは津軽で無ければ食へないものだ。さうだ。卵味噌だ。卵味噌に限る。卵味噌だ。卵味噌だ。」
私は決して誇張法を用みて描写してゐるのではない。この疾風怒濤の如き接待は、津軽人の愛情の表現なのである。干鱈《ひだら》といふのは、大きい鱈を吹雪にさらして凍らせて干したもので、芭蕉翁などのよろこびさうな軽い閑雅な味のものであるが、Sさんの家の縁側には、それが五、六本つるされてあつて、Sさんは、よろよろと立ち上り、それを二、三本ひつたくつて、滅多矢鱈に鉄槌で乱打し、左の親指を負傷して、それから、ころんで、這ふやうにして皆にリンゴ酒を注いで廻り、頭の鉢の一件も、決してSさんは私をからかふつもりで言つたのではなく、また、ユウモアのつもりで言つたのでもなかつたのだといふ事が私にはつきりわかつて来た。Sさんは、鉢のひらいた頭といふものを、真剣に尊敬してゐるらしいのである。いいものだと思つてゐるらしいのである。津軽人の愚直可憐、見るべしである。さうして、つひには、卵味噌、卵味噌と連呼するに到つたのであるが、この卵味噌のカヤキなるものに就いては、一般の読者には少しく説明が要るやうに思はれる。津軽に於
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