しかも、それは、たいていありふれた文学的な虚飾なのだから)何も言ひたくないのである。
 津軽の事を書いてみないか、と或る出版社の親しい編輯者に前から言はれてゐたし、私も生きてゐるうちに、いちど、自分の生れた地方の隅々まで見て置きたくて、或る年の春、乞食のやうな姿で東京を出発した。
 五月中旬の事である。乞食のやうな、といふ形容は、多分に主観的の意味で使用したのであるが、しかし、客観的に言つたつて、あまり立派な姿ではなかつた。私には背広服が一着も無い。勤労奉仕の作業服があるだけである。それも仕立屋に特別に注文して作らせたものではなかつた。有り合せの木綿の布切を、家の者が紺色に染めて、ジヤンパーみたいなものと、ズボンみたいなものにでつち上げた何だか合点のゆかない見馴れぬ型の作業服なのである。染めた直後は、布地の色もたしかに紺であつた筈だが、一、二度着て外へ出たら、たちまち変色して、むらさきみたいな妙な色になつた。むらさきの洋装は、女でも、よほどの美人でなければ似合はない。私はそのむらさきの作業服に緑色のスフのゲートルをつけて、ゴム底の白いズツクの靴をはいた。帽子は、スフのテニス帽。あの洒落者が、こんな姿で旅に出るのは、生れてはじめての事であつた。けれども流石に背中のリユツクサツクには、母の形見を縫ひ直して仕立てた縫紋の一重羽織と大島の袷、それから仙台平の袴を忍ばせてゐた。いつ、どんな事があるかもわからない。
 十七時三十分上野発の急行列車に乗つたのだが、夜のふけると共に、ひどく寒くなつて来た。私は、そのジヤンパーみたいなものの下に、薄いシヤツを二枚着てゐるだけなのである。ズボンの下には、パンツだけだ。冬の外套を着て、膝掛けなどを用意して来てゐる人さへ、寒い、今夜はまたどうしたのかへんに寒い、と騒いでゐる。私にも、この寒さは意外であつた。東京ではその頃すでに、セルの単衣を着て歩いてゐる気早やな人もあつたのである。私は、東北の寒さを失念してゐた。私は手足を出来るだけ小さくちぢめて、それこそ全く亀縮の形で、ここだ、心頭滅却の修行はここだ、と自分に言ひ聞かせてみたけれども、暁に及んでいよいよ寒く、心頭滅却の修行もいまはあきらめて、ああ早く青森に着いて、どこかの宿で炉辺に大あぐらをかき、熱燗のお酒を飲みたい、と頗る現実的な事を一心に念ずる下品な有様となつた。青森には、朝の八時に着
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