の三男かであつたのを、私の家から迎へられて何代目かの当主になつたのである。この父は、私の十四の時に死んだのであるから、私はこの父の「人間」に就いては、ほとんど知らないと言はざるを得ない。また自作の「思ひ出」の中の一節を借りるが、「私の父は非常に忙しい人で、うちにゐることがあまりなかつた。うちにゐても子供らと一緒には居らなかつた。私は此の父を恐れてゐた。父の万年筆をほしがつてゐながらそれを言ひ出せないで、ひとり色々と思ひ悩んだ末、或る晩に床の中で眼をつぶつたまま寝言のふりして、まんねんひつ、まんねんひつ、と隣部屋で客と対談中の父へ低く呼びかけた事があつたけれど、勿論それは父の耳にも心にもはひらなかつたらしい。私と弟とが米俵のぎつしり積まれたひろい米蔵に入つて面白く遊んでゐると、父が入口に立ちはだかつて、坊主、出ろ、出ろ、と叱つた。光を背から受けてゐるので父の大きい姿がまつくろに見えた。私は、あの時の恐怖を惟ふと今でも、いやな気がする。(中略)その翌春、痰フまだ深く積つてゐた頃、私の父は東京の病院で血を吐いて死んだ。ちかくの新聞社は父の訃を号外で報じた。私は父の死よりも、かういふセンセイシヨンの方に興奮を感じた。遺族の名にまじつて私の名も新聞に出てゐた。父の死骸は大きい寝棺に横たはり橇に乗つて故郷へ帰つて来た。私は大勢のまちの人たちと一緒に隣村近くまで迎へに行つた。やがて森の蔭から幾台となく続いた橇の幌が月光を受けつつ滑つて出て来たのを眺めて私は美しいと思つた。つぎの日、私のうちの人たちは父の寝棺の置かれてある仏間に集つた。棺の蓋が取りはらはれるとみんな声をたてて泣いた。父は眠つてゐるやうであつた。高い鼻筋がすつと青白くなつてゐた。私は皆の泣声を聞き、さそはれて涙を流した。」まあ、だいたいこんな事だけが父に関する記憶と言つていいくらゐのもので、父が死んでからは、私は現在の長兄に対して父と同様のおつかなさを感じ、またそれゆゑ安心して寄りかかつてもゐたし、父がゐないから淋しいなどと思つた事はいちども無かつたのである。しかし、だんだんとしを取るにつれて、いつたい父は、どんな性格の男だつたのだらう、などと無礼な忖度をしてみるやうになつて、東京の草屋に於ける私の仮寝の夢にも、父があらはれ、実は死んだのではなくて或る政治上の意味で姿をかくしてゐたのだといふ事がわかり、思ひ出の父の面
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