て、水鳥が池から飛び立つた。私とお婿さんとは顔を見合せ、意味も無く、うなづき合つた。雁だか鴨だか、口に出して言へるほどには、お互ひ自信がなかつたやうなふうなのだ。とにかく、野生の水鳥には違ひなかつた。深山幽谷の精気が、ふつと感ぜられた。兄は、背中を丸くして黙つて歩いてゐる。兄とかうして、一緒に外を歩くのも何年振りであらうか。十年ほど前、東京の郊外の或る野道を、兄はやはりこのやうに背中を丸くして黙つて歩いて、それから数歩はなれて私は兄のそのうしろ姿を眺めては、ひとりでめそめそ泣きながら歩いた事があつたけれど、あれ以来はじめての事かも知れない。私は兄から、あの事件に就いてまだ許されてゐるとは思はない。一生、だめかも知れない。ひびのはひつた茶碗は、どう仕様も無い。どうしたつて、もとのとほりにはならない。津軽人は特に、心のひびを忘れない種族である。この後、もう、これつきりで、ふたたび兄と一緒に外を歩く機会は、無いのかも知れないとも思つた。水の落ちる音が、次第に高く聞えて来た。溜池の端に、鹿の子滝といふ、この地方の名所がある。ほどなく、その五丈ばかりの細い滝が、私たちの脚下に見えた。つまり私たちは、荘右衛門沢の縁《へり》に沿うた幅一尺くらゐの心細い小路を歩いてゐるのであつて、右手はすぐ屏風を立てたやうな山、左手は足もとから断崖になつてゐて、その谷底に滝壺がいかにも深さうな青い色でとぐろを巻いてゐるのである。
「これは、どうも、目まひの気味です。」と嫂は、冗談めかして言つて、陽子の手にすがりついて、おつかなさうに歩いてゐる。
 右手の山腹には、ツツジが美しく咲いてゐる。兄はピツケルを肩にかついで、ツツジの見事に咲き誇つてゐる箇所に来るたんびに、少し歩調をゆるめる。藤の花も、そろそろ咲きかけてゐる。路は次第に下り坂になつて、私たちは滝口に降りた。一間ほどの幅の小さい谷川で、流れのまんなかあたりに、木の根株が置かれてあり、それを足がかりにして、ひよいひよいと二歩で飛び越せるやうになつてゐる。ひとりひとり、ひよいひよいと飛び越した。嫂が、ひとり残つた。
「だめです。」空言つて笑ふばかりで飛び越さうとしない。足がすくんで、前に出ない様子である。
「おぶつてやりなさい。」と兄は、アヤに言ひつけた。アヤが傍へ寄つても、嫂は、ただ笑つて、だめだめと手を振るばかりだ。この時、アヤは怪力を発揮し
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