。」
家へ帰つて兄に、金木の景色もなかなかいい、思ひをあらたにしました、と言つたら、兄は、としをとると自分の生れて育つた土地の景色が、京都よりも奈良よりも、佳くはないか、と思はれて来るものです、と答へた。
翌る日は前日の一行に、兄夫婦も加はつて、金木の東南方一里半くらゐの、鹿の子川溜池といふところへ出かけた。出発真際に、兄のところへお客さんが見えたので、私たちだけ一足さきに出かけた。モンペに白足袋に草履といふいでたちであつた。二里ちかくも遠くへ出歩くなどは、嫂にとつて、金木へお嫁に来てはじめての事かも知れない。その日も上天気で、前日よりさらに暖かかつた。私たちは、アヤに案内されて金木川に沿うて森林鉄道の軌道をてくてく歩いた。軌道の枕木の間隔が、一歩には狭く、半歩には広く、ひどく意地悪く出来てゐて、甚だ歩きにくかつた。私は疲れて、早くも無口になり、汗ばかり拭いてゐた。お天気がよすぎると、旅人はぐつたりなつて、かへつて意気があがらぬもののやうである。
「この辺が、大水の跡です。」アヤは、立ちどまつて説明した。川の附近の田畑数町歩一面に、激戦地の跡もかくやと思はせるほど、巨大の根株や、丸太が散乱してゐる。その前のとし、私の家の八十八歳の祖母も、とんと経験が無い、と言つてゐるほどの大洪水がこの金木町を襲つたのである。
「この木が、みんな山から流されて来たのです。」と言つて、アヤは悲しさうな顔をした。
「ひどいなあ。」私は汗を拭きながら、「まるで、海のやうだつたらうね。」
「海のやうでした。」
金木川にわかれて、こんどは鹿《か》の子川に沿うてしばらくのぼり、やつと森林鉄道の軌道から解放されて、ちよつと右へはひつたところに、周囲半里以上もあるかと思はれる大きい溜池が、それこそ一鳥啼いて更に静かな面持ちで、蒼々満々と水を湛へてゐる。この辺は、荘右衛門沢といふ深い谷間だつたさうであるが、谷間の底の鹿の子川をせきとめて、この大きい溜池を作つたのは、昭和十六年、つい最近の事である。溜池のほとりの大きい石碑には、兄の名前も彫り込まれてゐた。溜池の周囲に工事の跡の絶壁の赤土が、まだ生々しく露出してゐるので、所謂天然の荘厳を欠いてはゐるが、しかし、金木といふ一部落の力が感ぜられ、このやうな人為の成果といふものも、また、快適な風景とせざるを得ない、などと、おつちよこちよいの旅の批評家は、
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