仕合せに生れついた者は、いつまで経《た》っても不仕合せのどん底であがいているばかりだ、これすなわち天命を知るという事か、あはは、死のう、竹青が泣いてくれたら、それでよい、他には何も望みは無い」と、古聖賢の道を究《きわ》めた筈の魚容も失意の憂愁に堪えかね、今夜はこの湖で死ぬる覚悟。やがて夜になると、輪郭《りんかく》の滲《にじ》んだ満月が中空に浮び、洞庭湖はただ白く茫《ぼう》として空と水の境が無く、岸の平沙《へいさ》は昼のように明るく柳の枝は湖水の靄《もや》を含んで重く垂れ、遠くに見える桃畑の万朶《ばんだ》の花は霰《あられ》に似て、微風が時折、天地の溜息の如く通過し、いかにも静かな春の良夜、これがこの世の見おさめと思えば涙も袖《そで》にあまり、どこからともなく夜猿《やえん》の悲しそうな鳴声が聞えて来て、愁思まさに絶頂に達した時、背後にはたはたと翼の音がして、
「別来、恙《つつが》無きや。」
振り向いて見ると、月光を浴びて明眸皓歯《めいぼうこうし》、二十《はたち》ばかりの麗人がにっこり笑っている。
「どなたです、すみません。」とにかく、あやまった。
「いやよ、」と軽く魚容の肩を打ち、「竹青
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