た。犬はその時、いやな横目を使ったという。何事もなく通りすぎた、とたん、わんといって右の脚《あし》に喰いついたという。災難である。一瞬のことである。友人は、呆然自失《ぼうぜんじしつ》したという。ややあって、くやし涙が沸いて出た。さもありなん、と私は、やはり淋しく首肯している。そうなってしまったら、ほんとうに、どうしようも、ないではないか。友人は、痛む脚をひきずって病院へ行き手当を受けた。それから二十一日間、病院へ通ったのである。三週間である。脚の傷がなおっても、体内に恐水病といういまわしい病気の毒が、あるいは注入されてあるかもしれぬという懸念《けねん》から、その防毒の注射をしてもらわなければならぬのである。飼い主に談判するなど、その友人の弱気をもってしては、とてもできぬことである。じっと堪《こら》えて、おのれの不運に溜息《ためいき》ついているだけなのである。しかも、注射代などけっして安いものではなく、そのような余分の貯《たくわ》えは失礼ながら友人にあるはずもなく、いずれは苦しい算段をしたにちがいないので、とにかくこれは、ひどい災難である。大災難である。また、うっかり注射でも怠《おこた》
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