残っているのだし。」
 薔薇は、残って在る。その当りまえの考えが、私を異様に勇気づけた。それからの四、五日間、私は、この薔薇に夢中になった。米のとぎ水をやった。萱《かや》で添木を作ってやった。枯れた葉を一枚一枚むしりとってやった。枝を剪んでやった。浮塵子《うんか》に似た緑色の小さい虫が、どの薔薇にも、うようよついていたのを、一匹残さず除去してやった。枯れるな、枯れるな、根を、おろせ。胸をわくわくさせて念じた。薔薇は、どうやら枯れずに育った。
 私は、朝、昼、晩、みれんがましく、縁側に立って垣根の向うの畑地を眺める。あの、中年の女のひとが、贋物でなくて、ひょっこり畑に出て来たら、どんなに嬉しいだろう、と思う。「ごめんなさい。僕は、あなたを贋物だとばかり思っていました。人を疑うことは、悪いことですね。」と私は、心からの大歓喜で、お詫びを言って、神へ感謝の涙を流すかも知れぬ。チュウリップも、ダリヤも要らない。そんなもの欲しくない。ただ、ひょっと、畑で立ち働いている姿を見せてくれさえすれば、いいのだ。私は、それで助かるのだ。出て来い、出て来い、顔を出せ、と永いこと縁側に立ちつくし、畑を見まわし
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