島から追放されているのである。
「故郷なんてものは、泣きぼくろみたいなものさ。気にかけていたら、きりが無い。手術したって痕《あと》が残る。」この友人の右の眼の下には、あずき粒くらいの大きな泣きぼくろが在るのだ。
私は、そんないい加減の言葉では、なぐさめられ切れず、鬱然として顔を仰向け、煙草ばかり吸っていた。
その時である。友人は、私の庭の八本の薔薇に眼をつけ、意外の事実を知らせてくれた。これは、なかなか優秀の薔薇だ、と言うのだ。
「ほんとうかね。」
「そうらしい。これは、もう六年くらいは経っています。ばら新《しん》あたりでは、一本一円以上は取るね。」友人は、薔薇に就いては苦労して来たひとである。大久保の自宅の、狭い庭に、四、五十本の薔薇を植えている。
「でも、これを売りに来た女は、贋物だったんだぜ。」と私は、瞞《だま》された顛末《てんまつ》を早速、物語って聞かせた。
「商人というものは、不必要な嘘まで吐《つ》くやつさ。どうでも、買ってもらいたかったんだろう。奥さん、鋏《はさみ》を貸して下さい。」友人は庭へ降りて、薔薇のむだな枝を、熱心にぱちんぱちんと剪《はさ》み取ってくれている。
「同郷人だったのかな? あの女は。」なぜだか、頬が熱くなった。「まんざら、嘘つきでも無いじゃないか。」
私は縁側に腰かけ、煙草を吸って、ひとかたならず満足であった。神は、在る。きっと在る。人間到るところ青山。見るべし、無抵抗主義の成果を。私は自分を、幸福な男だと思った。悲しみは、金を出しても買え、という言葉が在る。青空は牢屋の窓から見た時に最も美しい、とか。感謝である。この薔薇の生きて在る限り、私は心の王者だと、一瞬思った。
底本:「太宰治全集3」ちくま文庫、筑摩書房
1988(昭和63)年10月25日第1刷発行
底本の親本:「筑摩全集類聚版太宰治全集」筑摩書房
1975(昭和50)年6月〜1976(昭和51)年6月刊行
1975(昭和50)年6月から1976(昭和51)年6月刊行
入力:柴田卓治
校正:小林繁雄
2000年1月16日公開
2005年10月25日修正
青空文庫作成ファイル:
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