卑劣のすけべいである。招待を受けても、聞えぬふりして返事も出さず、ひそかに赤面し、小さくなって震えているのが、いまの私の状態に、正しく相応している作法であった。
 自身の弱さが――うかうか出席と返事してしまった自身のだらし無さが、つくづく私に怨《うら》めしかった。悔いて及ばぬ事である。すべては、私の愚かさ故である。いっそ、こうなれば、度胸を据《す》えて、堂々、袴《はかま》はいて出席し、人が笑ってもなんでも、てんとして名士の振りを装い、大演説でも、ぶってやろうかと、やけくそに似た荒《すさ》んだ根性も頭をもたげ、世の中は、力だ、飽くまでも勁《つよ》く押して行けば、やがてその人を笑わなくなり、ああ、浅墓だ、恥を知れ! 掌を返すが如くその人を賞讃し、畏敬の身振りもいやらしく、ひそかに媚《こ》びてみつぎものを送ったり何かするのだ。堂々、袴をはいて出席し、大演説、などといきり立ってみるのだが、私は、駄目だ。人に迷惑を掛けている。善い作品を書いていない。みんな、ごまかしだ。不正直だ。卑屈だ。嘘つきだ。好色だ。弱虫だ。神の審判の台に立つ迄も無く、私は、つねに、しどろもどろだ。告白する。私は、やっぱり袴をはきたかったのである。大演説なぞと、いきり立ち、天地もゆらぐ程の空想に、ひとりで胸を轟かせ、はっと醒めては自身の虫けらを知り、頸をちぢめて消えも入りたく思うのだが、またむくむくと、せめて袴くらいは、と思う。俗世のみれんを捨て切れないのである。どうせ出るなら、袴をはいて、きちんとして、私は歯が欠けて醜いから、なるべく笑わず、いつもきゅっと口を引き締め、そうして皆に、はっきりした言葉で御無沙汰のお詫びをしよう。すると、或いは故郷の人も、辻馬の末弟、噂に聞いていたよりは、ちゃんとしているでは無いかと、ひょっとしたら、そう思ってくれるかもわからない。出よう。やっぱり、袴をはいて出よう。そうして皆に、はきはきした口調で挨拶して、末席につつましく控えていたら、私は、きっと評判がよくて、話がそれからそれへと伝わり、二百里離れた故郷の町までも幽《かす》かに響いて、病身の老母を、静かに笑わせることが、出来るのである。絶好のチャンスでは無いか。行こう、袴をはいて行こうと、またまた私は、胸が張り裂けるばかりに、いきり立つのだ。捨て切れないのである。ふるさとを、私をあんなに嘲ったふるさとを、私は捨て切れないで居るのである。病気がなおって、四年このかた、私の思いは一つであって、いよいよ熾烈《しれつ》になるばかりであったのである。私も、所詮は心の隅で、衣錦還郷というものを思っていたのだ。私は、ふるさとを愛している。私は、ふるさとの人、すべてを愛している!
 招待の日が来た。その日は、朝から大雨であった。けれども私は、出席するつもりなのである。私は、袴を持っている。かなり、いい袴である。紬《つむぎ》なのである。これは、私の結婚式の時に用いただけで、家内は、ものものしく油紙に包んで行李《こうり》の底に蔵している。家内は之を仙台平《せんだいひら》だと思っている。結婚式の時にはいていたのだから仙台平というものに違い無いと、独断している様子なのである。けれども、私は貧しくて、とても仙台平など用意できない状態だったので、結婚式の時にも、この紬の袴で間に合せて置いたのである。それを家内が、どういうものだか、仙台平だとばかり思っている様子だから、今更、その幻想をぶち壊すのも気の毒で、私は、未だにその実相を言えないで居るのである。その袴を、はいて行きたかった。私にとって、せめて錦衣のつもりなのであった。
「おい、あの、いい袴を出してくれ。」流石《さすが》に、仙台平を、とは言えなかった。
「仙台平を? およしなさい。紺絣《こんがすり》の着物に仙台平は、へんです。」家内は、反対した。私には、よそゆきの単衣《ひとえ》としては、紺絣のもの一枚しかないのである。夏羽織が一枚あった筈であるが、いつの間にやら無くなった。
「へんな事は無い。出しなさい。」仙台平なんかじゃないんだ、と真相をぶちまけようかと思ったが怺《こら》えた。
「滑稽じゃないかしら。」
「かまわない。はいて行きたいのだ。」
「だめですよ。」家内は、頑固であった。その仙台平なるものの思い出を大事にして、無闇《むやみ》に外に出して粗末にされたくないエゴイズムも在るようだ。「セルのが、あります。」
「あれは、いけない。あれをはいて歩くと、僕は活動の弁士みたいに見える。もう、よごれて、用いられない。」
「けさ、アイロンを掛けて置きましたの。紺絣には、あのほうが似合うでしょう。」
 家内には、私のその時の思いつめた意気込みの程が、わからない。よく説明してやろうかと思ったが、面倒臭かった。
「仙台平、」と、とうとう私まで嘘をついて、「仙台平のほうが
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