たずら心から、わざと鄭重に名士扱いにして、そうして、蔭で舌を出して互に目まぜ袖引き、くすくす笑っている者たちが、確かに襖《ふすま》のかげに、うようよ居るように思われ、私は頗《すこぶ》る落ちつかなかったのである。故郷の者は、ひとりも私の作品を読まぬ。読むとしても、主人公の醜態を行っている描写の箇所だけを、憫笑《びんしょう》を以《もっ》て拾い上げて、大いに呆れて人に語り、郷里の恥として罵倒、嘲笑しているくらいのところであろう。四年まえ、東京で長兄とちょっと逢った時にも長兄は、おまえの本を親戚の者たちへ送ることだけは止せ。おれだって読みたくない。親戚の者たちは、おまえの本を読んで、どんなことを、と言いかけ、ふっと口を噤《つぐ》んで顔を伏せたきりだったけれど、私には、すべての情勢が、ありありと判った。もう死ぬまで一冊も、郷里の者へ、本を送らぬつもりである。郷土出身の文学者だって、甲野嘉一君を除いては、こぞって私を笑っている。文学に縁の無い、画家、彫刻家たちも、ときたま新聞に出る私の作品への罵言を、そのまま気軽に信じて、利口そうに、苦笑しているくらいのところであろう。私は、被害妄想狂では無いのである。決して、ことさらに、僻《ひが》んで考えているのでは無いのである。事実は、或いは、もっと苛酷な状態であるかも知れない。同じ芸術家仲間に於いてすら、そうである。謂《い》わんや、ふるさとの人々の炉辺では、辻馬の家の(Dというのは私の筆名であって、辻馬というのが、私の家の名前である。)末弟は、東京でいい恥さらしをしているそうだのう、とただそれだけ、話題に上って、ふっと消え、火を掻《か》き起してお茶を入れかえ、秋祭りの仕度《したく》に就いて話題が移ってゆく、という、そんな状態ではないかと思う。そのような侘びしい状態に在るのも知らず、愚かな貧しい作家が、故郷の新聞社から招待を受け、さっそく出席と返事して、おれも出世したわいと、ほくそ笑んでいる図はあわれでないか。何が出世だ。衣錦之栄も、へったくれも無い。私の場合は、まさしく、馬子《まご》の衣裳というものである。物笑いのたねである。それ等のことに気がついた時には、私は恥ずかしさのあまりに、きりきり舞いをしたのである。しまった! と思った。やっぱり、欠席、とすべきであったのである。いやいや、出席でも欠席でも、とにかく返事を出すということが、すでに
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