の往復葉書に印刷されて在り、日時と場所とが指定されていた。私は、出席、と返事を出した。かねがね故郷を、あんなに恐れていながら、なぜ、出席と返事したのか。それには理由が、三つ在るのである。その一つには、私が小さい時から人なかへ出ることを億劫《おっくう》がり、としとってからもその悪癖が直るどころか、いっそう顕著になって、どうしても出席しなければならぬ会合にも、何かと事を構えて愚図愚図しぶって欠席し、人には義理を欠くことの多く、ついには傲慢《ごうまん》と誤解され、なかなか損な場合もあるので、之からは努めて人なかへも顔を出し、誠実の挨拶して、市民としての義務を果そうと、ひそかに決意していた矢先であったからである。その二つには、れいの新聞社の本社に、主幹として勤めている河内という人に、私が五年まえの病気の時、少し御心配をお掛けしているからである。河内さんとは、私が高等学校のときからの知り合いである。いつも陰で、私の評判わるい小説を支持してくれていたのである。六年まえの病気のとき私は、ほうぼうから滅茶苦茶に借銭して、その後すこしずつお返ししても、未だに全部は返却することの出来ない始末なのであるが、そのとき河内さんへも、半狂乱で借銭の手紙を書いたのである。河内さんから御返事が来て、それは結局、借銭拒否のお手紙であったが、けれども、拒否されても、私は河内さんを有難いと思った。私のような謂《い》わば一介の貧書生に、河内さんのお家の事情を全部、率直《そっちょく》に打ち明けて下され、このような状態であるから、とても君の希望に副《そ》うことのできないのが明白であるのに、尚《なお》ぐずぐずしているのも本意ないゆえ、この際きっぱりお断りいたします、とおっしゃる言葉の底に、男らしい尊いものが感ぜられ、私は苦しい中でも有難く思った。私は、それを忘れていない。新聞社の今度の招待は、きっと河内さんたちの計画に違いない。事を構えて欠席したら、或いは、金を貸さなかったから出て来ないのだと、まさかそんなことは有るまいけれど、もし万一そのような疑惑を少しでも持たれたなら、私は死ぬる以上に苦しい。決して、そんなことは無いのだ。あの時のことは、かえって真実ありがたく思っているのだ。私は、いまは是が非でも出席しなければならぬ。それが、理由の二つ。その三つは、招待状の文章に在った。――黄金色の稲田と真紅の苹果《りんご
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