或る種類のめいわくを掛けたことがある。十年まえと言えば、二十一である。銀座のバアへはいったのであるが、私の財布には五円紙幣一枚と、電車切符しか無かった。大阪言葉の女給である。上品な人である。私は、その人に五円しか無いことを言って、なるべくお酒をゆっくり持って来てくれるように、まじめにたのんだ。女の人も笑わずに、承知してくれた。一本呑むと酔って来て、つぎの一本を大至急たのんだ。女の人は、さからわず、はいはいと言って持って来た。ずいぶん呑んでしまった。お勘定は、十三円あまりであった。いまでも、その金高は、ちゃんと覚えている。私が、もそもそしたら、女の人は、ええわ、ええわ、と言って私の背中をぐんぐん押して外へ出してしまった。それっきりであった。私の態度がよかったからであろうと思い、私は、それ以上の浮いた気持は感じなかった。二、三年、あるいは四、五年、そこは、はっきりしないけれども、とにかく、よっぽど後になって、ふらとそのバアへ立ち寄ったことがある。南無三、あの女給が、まだいたのである。やはり上品に、立ち働いていた。私のテエブルにも、つい寄って、にこにこ笑いながら、どなただったかなあ、忘れたな
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