家の者に聞いた。あれは、なんだ、なんの歌だ。家の者は笑って答えた。蝙蝠《こうもり》の歌でしょう。鳥獣合戦のときの唱歌でしょう。「そうかね。ひどい歌だね。」「そうでしょうか。」と何も知らずに笑っている。
 その歌が、いま思い出された。私は、弱行の男である。私は、御機嫌買いである。私は、鳥でもない。けものでもない。そうして、人でもない。きょうは、十一月十三日である。四年まえのこの日に、私は或る不吉な病院から出ることを許された。きょうのように、こんなに寒い日ではなかった。秋晴れの日で、病院の庭には、未だコスモスが咲き残っていた。あのころの事は、これから五、六年経って、もすこし落ちつけるようになったら、たんねんに、ゆっくり書いてみるつもりである。「人間失格」という題にするつもりである。
 あと、もう書きたくなくなった。けれども、私は書かなければならぬ。「新潮」のNさんには、これまでも、いろいろと迷惑をお掛けしている。やぶれかぶれで、こんな言葉が、ふいと浮んだ。「私にも、陋巷《ろうこう》の聖母があった。」
 もとより、痩意地《やせいじ》の言葉である。地上の、どんな女性を描いてみても、あのミケラン
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