れど、ばかめ! おまえみたいな下劣な穿鑿《せんさく》好きがいるから、私まで、むきになって、こんな無智な愚かな弁明を、まじめな顔して言わなければならなくなるのだ。人の話は、だまって聞いているがよい。私は、嘘をついているのでは無いから。
恥辱を告白している、とまえに言った。けれども、それは少し言葉が足りなかった。「恥辱を告白することに、わずかな誇りを持ちたくて、書いているのだ。」と言い直したほうが、やや適切ではなかろうか。みじめの心境であるが、いたしかたが無い。私は女に好かれることは無いのであるから、ときたまのわずかな、女の好意でも、そのときは恥辱にさえ思っていたのであったが、いまは、その記憶だけでも大事にしなければならぬのではないか、という頗《すこぶ》るぱっとしない卑屈な反省に依《よ》って、私は、それらの貧しい女性たちに、「陋巷のマリヤ」という冠を、多少閉口しながら、やぶれかぶれで捧げている現状なのである。かのミケランジェロのマリヤが、この様を見下して、怒り給うこと無く、微笑してくれたら、さいわいである。
私は、肉親以外の女の人からは、金銭を貰ったことは、いちども無いが、十年まえに、或る種類のめいわくを掛けたことがある。十年まえと言えば、二十一である。銀座のバアへはいったのであるが、私の財布には五円紙幣一枚と、電車切符しか無かった。大阪言葉の女給である。上品な人である。私は、その人に五円しか無いことを言って、なるべくお酒をゆっくり持って来てくれるように、まじめにたのんだ。女の人も笑わずに、承知してくれた。一本呑むと酔って来て、つぎの一本を大至急たのんだ。女の人は、さからわず、はいはいと言って持って来た。ずいぶん呑んでしまった。お勘定は、十三円あまりであった。いまでも、その金高は、ちゃんと覚えている。私が、もそもそしたら、女の人は、ええわ、ええわ、と言って私の背中をぐんぐん押して外へ出してしまった。それっきりであった。私の態度がよかったからであろうと思い、私は、それ以上の浮いた気持は感じなかった。二、三年、あるいは四、五年、そこは、はっきりしないけれども、とにかく、よっぽど後になって、ふらとそのバアへ立ち寄ったことがある。南無三、あの女給が、まだいたのである。やはり上品に、立ち働いていた。私のテエブルにも、つい寄って、にこにこ笑いながら、どなただったかなあ、忘れたなあ、と言い、そのまま他のテエブルのほうへ行ってしまった。私は卑屈で、しかも吝嗇《けち》であるから、こちらから名乗ってお礼を言う勇気もなく、お酒を一本呑んで、さっさと引き上げた。
もう、種が無くなった。あとは、捏造《ねつぞう》するばかりである。何も、もう、思い出が無いのである。語ろうとすれば、捏造するより他はない。だんだん、みじめになって来る。
ひとつ、手紙でも書いて見よう。
「おじさん。サビガリさん。サビシガリさんでも無ければ、サムガリさんでも無いの。サビガリさんが、よく似合う。いつも、小説ばっかり書いているおじさん。けさほどは、お葉書ありがとう。ちょうど朝御飯のとき着きましたので、みんなに読んであげました。そんなに毎日毎日チクチク小説ばっかり書いてらしたら、からだを悪くする。ぜひ、スポオツをなさいます様おすすめ致します。おじさんの様に、いつもドテラ着て家に居る人間には、どうしても運動の明るさと、元気を必要としますから。きょうも、またおじさんを、うんと笑わせてあげます。これから書くことは、もっとおしまいに書くつもりでしたけれど、早くお知らせしたく我慢できなくなっちゃったから、書くわ。いったい、なんでしょう? 何しろ、きょう買って貰ったものですからね。私たちムスメが、それを身につけると、たまらなく海の見える砂丘に立ってみたくなるものです。旅行がしたくなって、たまらなくなるものです。きょう、銀座のローヤルで見つけて、かえりにすぐ身につけて来ましたの。私、歩くのが嬉しくって、楽しくって、自然に眼が足もとへいってしまうのです。もう、おわかりでしょう。靴なのよ。あたし、きょう、靴ばかり歩いているような気がしましたわ。みんなが私の靴を見つめているような、たいへんな、おごりの気持よ。つまらない? おじさんは、なんでもつまらない、つまらないだから困るのです。私も、靴の話は、つまらなく思います。
それでは、何が、いいでしょう。きょう夕方、お母さんが『女生徒』を読みたいとおっしゃいました。私は、つい、『厭《いや》よ。』って断りました。そして、五分くらい経ってから、『お母さん意地悪ね。だけど、仕方がないわ。困ったわ。』なんて変なことばかり言って、あの本を書斎から持って来てあげましたの。今お母さん読んでいらっしゃるらしいのよ。かまわないわね。お母さんにわるいことなんか、ちっとも書かれ
前へ
次へ
全5ページ中3ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
太宰 治 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング