再認識?
ヘッ 空《むな》しき夢を ありもしない幻を
エヘッ 酒を忘れたんで みんな虚仮《こけ》の思案さ
どうだ 此|涯《はて》もない大空を御覧よ
此中にポッチリ浮んだ点じゃい
此地球が何んで自転するのか分るもんか
自転 公転 反転も勝手ですわい
至る処《ところ》に 至高の力を感じ
あらゆる国にあらゆる民族に
同一の人間性を発見する
我は異端者なりとかや
みんな聖経をよみ違えてんのよ
でなきゃ常識も智慧《ちえ》もないのよ
生身《いきみ》の喜びを禁じたり 酒を止めたり
いいわ ムスタッファ わたしそんなの 大嫌い
[#ここで字下げ終わり]
けれども、その頃、自分に酒を止めよ、とすすめる処女がいました。
「いけないわ、毎日、お昼から、酔っていらっしゃる」
バアの向いの、小さい煙草屋の十七、八の娘でした。ヨシちゃんと言い、色の白い、八重歯のある子でした。自分が、煙草を買いに行くたびに、笑って忠告するのでした。
「なぜ、いけないんだ。どうして悪いんだ。あるだけの酒をのんで、人の子よ、憎悪を消せ消せ消せ、ってね、むかしペルシャのね、まあよそう、悲しみ疲れたるハートに希望を持ち来すは、ただ微醺《びくん》をもたらす玉杯なれ、ってね。わかるかい」
「わからない」
「この野郎。キスしてやるぞ」
「してよ」
ちっとも悪びれず下唇を突き出すのです。
「馬鹿野郎。貞操観念、……」
しかし、ヨシちゃんの表情には、あきらかに誰にも汚されていない処女のにおいがしていました。
としが明けて厳寒の夜、自分は酔って煙草を買いに出て、その煙草屋の前のマンホールに落ちて、ヨシちゃん、たすけてくれえ、と叫び、ヨシちゃんに引き上げられ、右腕の傷の手当を、ヨシちゃんにしてもらい、その時ヨシちゃんは、しみじみ、
「飲みすぎますわよ」
と笑わずに言いました。
自分は死ぬのは平気なんだけど、怪我をして出血してそうして不具者などになるのは、まっぴらごめんのほうですので、ヨシちゃんに腕の傷の手当をしてもらいながら、酒も、もういい加減によそうかしら、と思ったのです。
「やめる。あしたから、一滴も飲まない」
「ほんとう?」
「きっと、やめる。やめたら、ヨシちゃん、僕のお嫁になってくれるかい?」
しかし、お嫁の件は冗談でした。
「モチよ」
モチとは、「勿論」の略語でした。モボだの、モガだの、その頃いろんな略語がはやっていました。
「ようし。ゲンマンしよう。きっとやめる」
そうして翌《あく》る日、自分は、やはり昼から飲みました。
夕方、ふらふら外へ出て、ヨシちゃんの店の前に立ち、
「ヨシちゃん、ごめんね。飲んじゃった」
「あら、いやだ。酔った振りなんかして」
ハッとしました。酔いもさめた気持でした。
「いや、本当なんだ。本当に飲んだのだよ。酔った振りなんかしてるんじゃない」
「からかわないでよ。ひとがわるい」
てんで疑おうとしないのです。
「見ればわかりそうなものだ。きょうも、お昼から飲んだのだ。ゆるしてね」
「お芝居が、うまいのねえ」
「芝居じゃあないよ、馬鹿野郎。キスしてやるぞ」
「してよ」
「いや、僕には資格が無い。お嫁にもらうのもあきらめなくちゃならん。顔を見なさい、赤いだろう? 飲んだのだよ」
「それあ、夕陽が当っているからよ。かつごうたって、だめよ。きのう約束したんですもの。飲む筈が無いじゃないの。ゲンマンしたんですもの。飲んだなんて、ウソ、ウソ、ウソ」
薄暗い店の中に坐って微笑しているヨシちゃんの白い顔、ああ、よごれを知らぬヴァジニティは尊いものだ、自分は今まで、自分よりも若い処女と寝た事がない、結婚しよう、どんな大きな悲哀《かなしみ》がそのために後からやって来てもよい、荒っぽいほどの大きな歓楽《よろこび》を、生涯にいちどでいい、処女性の美しさとは、それは馬鹿な詩人の甘い感傷の幻に過ぎぬと思っていたけれども、やはりこの世の中に生きて在るものだ、結婚して春になったら二人で自転車で青葉の滝を見に行こう、と、その場で決意し、所謂「一本勝負」で、その花を盗むのにためらう事をしませんでした。
そうして自分たちは、やがて結婚して、それに依って得た歓楽《よろこび》は、必ずしも大きくはありませんでしたが、その後に来た悲哀《かなしみ》は、凄惨《せいさん》と言っても足りないくらい、実に想像を絶して、大きくやって来ました。自分にとって、「世の中」は、やはり底知れず、おそろしいところでした。決して、そんな一本勝負などで、何から何まできまってしまうような、なまやさしいところでも無かったのでした。
二
堀木と自分。
互いに軽蔑《けいべつ》しながら附き合い、そうして互いに自《みずか》らをくだらなくして行く、それがこの世の所謂「交友」というものの姿
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